3月

4

歳を取って知ること

歳を取って知ることは、若い頃には知りようがなかったこと。
そう思うと、若い人がさらにかわいく思える。
僕もあんなだったなと。

2月

28

黒い瞳、再び

渡辺貞夫の「黒い瞳」が流れてきた。
何度聞いてもうるっとする。
きっとこの『日刊 気持ちいいもの』にももう書いただろうなと思って調べてみる。
2002年6月14日に書いていた。
以下のようなものだった。

—–

黒い瞳
    
渡辺貞夫の曲に『黒い瞳』がある。
シンプルな詩、シンプルなメロディーを
中学生のコーラスが歌う。
バックはブラジルのパーカッション・チームと
ナベサダの率いるジャズバンド。
うまいとかへたとか、そんな域を遙かに超えて
なぜか心が震えてしまう。
音楽で大事なのは技術だけではないことがよくわかる。
ナベサダの問いかけに中学生たちが
全身全霊で答えている。

—-

これを読んでおやっ?と思う。
あの歌は中学生の声なのか?
すっかり忘れている。
調べると、栃木の中学生だということがわかった。
録音されたのは1997年頃、20年以上前だ。
あの歌を歌っていた中学生はもうアラフォーだ。
あの歌を歌うということが、どういう体験だったのか、聞いてみたい。

2月

21

TR-606

大学生の頃、ローランドのTR-606というリズムマシンで音楽を作っていた。
簡単な作りのリズムマシンだったけど、音は特徴的で良かった。
いまでもときどき、これはTR-606かな?と思う音に出会う。
最近ではローランドが、デスクトップミュージック用にPCに入れられるソフトを開発したが、至れり尽くせりで、かつてのシンプルさはない。
便利と言えば便利だが、かつてのシンプルなものでも結構苦労したので、いまの機能ではきっと音を選ぶだけで時間がかかりそうだ。
それが楽しいといえば楽しいが、思い出に浸りたい僕としては「前の方が良かった」と言いたくなる。
感覚が年寄りじみたな。w

2月

20

吉祥寺

吉祥寺の地図を見ると、いろんな思い出があふれてきた。
ここでこんなことがあった、あそこにあの人が住んでいた、ここで買い物したなどということ。
それで不思議に思う。
普段よく行く場所ではそんなふうにはならない、
たとえば、池袋の地図を見ても、たくさんの思い出があふれてくるとは思えない。
なぜ吉祥寺ではそんなことが起きるのか?
滅多に行かないからかな。
行くときはそれぞれに鮮明な理由があり、思い出が残るからかな。

1月

29

混合ワクチンの思い出

二種混合ワクチンか、三種混合ワクチンかは定かではないが、僕が幼い頃、母が混合ワクチンの接種を拒否してくれた。
後日、厚生省がそのワクチンの使用を中止した。
脳症などの副反応が報告されたからだ。
そのニュースが流れたとき、どのように僕への接種を拒否したかを話してくれた。
拒否などできる状態ではなかったそうだが、母は頑として拒否してくれた。
接種会場で半日、僕を抱えて立たされたとか。
その話を思い出すと、ありがたかったと泣ける。

12月

30

サバの味噌煮

ひさしぶりにサバの味噌煮を食べた。
懐かしい。
母がよく作ってくれた。
でも、幼い僕はあまりおいしいとは思わなかった。
サバの匂いが嫌だった。
あれから何年経っただろう。
いまではとてもおいしく感じられる。
なぜだろう?
味覚が大人になったからか、母に教育されておいしくなったからか、本当のところはよくわからないけど、母に「おいしい」と言えばよかった。

12月

30

ゴードン・ジン

最初によく飲んだお酒はジンだった。
うちのキャビネットに入っていたので、ときどき出して飲んでいた。
そうやってチビチビ飲んで味を覚えた。
バーでマティーニを作ってもらうとき、別のジンで作られると物足りないので、先に「ジンはゴードンで」と頼む。
ベルモットの違いはあまり気にならないのが不思議だ。
ひさしぶりにゴードンをボトルで買って、ニマニマ、チビチビ。

12月

25

クリスマス

クリスマスとは何か?
いろんな見方がある。
起源について調べると、ヨーロッパの宗教の歴史がわかるようになる。
日本の、一家庭でのクリスマスの解釈は、それとはまったく違う。
うちではとにかく何かをお祝いする機会だった。
プレゼントがあり、ごちそうがある。
父親は、そんなことしなくてもいいよと思っていたが、母親は子供のために奮起した。
だから、僕にとってのクリスマスは母親が頑張った思い出とともにある。
メリークリスマス。
母さんどうもありがとう。

12月

14

ミラーマンの歌

今朝、朝焼けを見た。
朝焼けを見るとふとこの歌を思い出す。
「朝焼けの光の中に立つ影は、ミラーマン」
だけど、その番組がどのような話だったのか、歌詞の続きがどうなるのか、まったく覚えてない。

12月

12

フィンガーチョコレート

レゾナンスCafeにフィンガーチョコレートが出てきた。
銀紙に包まれた細長いチョコ。
正確には細長い焼き菓子にチョコレートがコーティングされたもの。
小学生の頃、母がPTAの集会に出て帰ってくると、残ったフィンガーチョコがおみやげだった。

12月

11

ゴールドはパープルを愛してる

伊勢丹新宿店メンズ館二階のメンズクリエーターズに行って、山崎美弥子さんの作品を観た。
帰ってから12年前にモロカイ島で会ったときの写真を見直す。
その頃にはもうすでに水平線の絵を描き始めていた。
12年たちいまの絵となる。
いったい何枚の水平線を描いたのだろう?
そういう積み重ねがあの絵には込められている。
山崎さんの絵はどれも小振りだ。
その小さなキャンバスという窓から、遠くの水平線を眺めるのが好きなのだろう。
モロカイの家の窓からも、海が眺められた。
伊勢丹の会場で、大小二枚の作品を買っていた、お洒落な帽子を被った年配のご婦人がいた。
カウンターで二枚の絵を包装してもらうのを待ちながら、そわそわしていた雰囲気が可愛らしかった。
あのご婦人はきっと今ごろ、あの大小二つの窓から、未来の水平線を眺めているのだろう。

12月

10

セルジオ・メンデス&ブラジル’66

中学生の頃、よくラジオを聞いていた。
流れてくるヒット曲を聴いても誰が演奏しているのかわからないことがよくあった。
セルジオ・メンデス&ブラジル’66のベスト盤を聞いたら、その頃聞いた懐かしい曲が次々とかかる。
いま聞くと、編成がコーラスのほかにはピアノとベースとパーカッションが中心で、それ以外はほとんどない。
ときどき別の楽器が聞こえてくると、それが贅沢に感じられる。
こんな薄い編成でこれだけ聞かせていたんだと驚く。

12月

7

モロカイの日々

12年前にモロカイ島に行った。
泊まるところが少なく、人も7000人ほどしか住んでいない。
昔のハワイの雰囲気を残している数少ない島の一つ。
海を眺めていると、クジラが通っていった。
夜には星があまりにもきれいで、高いところに上がると足より下に星があるように感じた。

そこで暮らしているアーティストの山崎美弥子さんに会って、モロカイホテルでおこなわれていたフラのパーティーに参加させてもらった。
夜には夕飯をごちそうになった。
当時、娘が3歳で、山崎さんのおなかには二人目の子供がいた。
白い壁には、山崎さんの作品がたくさん飾ってあった。
そのなかに何点か水平線の絵があった。
いま伊勢丹新宿店メンズ館二階のメンズクリエーターズで、山崎さんの作品の展示販売がおこなわれている。
千年後の未来の風景として、その水平線の作品を観ることができる。
12年間、彼女は水平線を描き続けてきたんだな。
会場で販売されていた写真集『ゴールドはパープルを愛している』には美しく育った娘ふたりの写真が掲載されていた。
https://www.imn.jp/post/108057203218

11月

27

フラミンゴの群れ

昔、ケニアでフラミンゴの群れを見た。
それを見に、ナクル湖に行ったが、フラミンゴがほとんどいなくて、ボゴリア湖に移動した。
そこには数えられないほどのフラミンゴがいて、とても美しかった。
一羽ずつ見ると白く見えるのだが、群れでいると全体がピンクに見える。
湖の岸がフラミンゴのピンクで埋められていた。
水辺から飛び立つフラミンゴは、体が重く、滑走すると水面に足跡の波紋が残り、次第に速くなって飛び立つ様がかわいかった。

11月

2

ヘミングウェイの家

ショーン・コネリーの訃報を聞いてふと思い出したのは、キーウエストにあるヘミングウェイの家だ。
ショーン・コネリーはバハマで亡くなった。
あのあたりは僕の頭の中でごっちゃになっている。
まず、バハマとハバナを混同する。
混同するたびに「葉巻はハバナ」と思い出して、ハバナはキューバだと思う。
キューバにはヘミングウェイのゆかりの場所がたくさんある。
それで行ったことのあるキーウェストの家を僕は思い出すのだろう。
バハマもハバナもキーウエストも、気候は似たり寄ったりだろうし。
007の舞台としてもあのあたりはよく登場する。
「007消されたライセンス」でMとボンドが会うシーンにヘミングウェイの家が使われていた。
それを見て懐かしいと思ったことを覚えているが、1989年に公開された映画なので、公開時にそう思ったのではないようだ。
そこに行ったのは確か1995年。
これも僕の記憶の曖昧さを表している。

10月

19

沈香

911の数時間前、京都で沈香を買った。
箱には十点ほど入っていたが、今はもう二点しかない。
その一点を点てた。
書斎をふんわりと包んでくれる。
20年は夢のごとし。

10月

12

バインダーノート

中学生の頃から愛用していたバインダーノートがひょっこり出てきた。
半透明になっていて、ポケットに入れた絵や文字が表紙と裏表紙から見える。
表紙にはハワイのティキゴッド、裏表紙にはアフリカの木彫りの仮面をデッサンしたものが入っていた。
ノートには浪人生の頃に書いたと思われる英単語の一覧が入っていた。
いま読んでも意味がわからない単語がある。
数学的な英単語が多いから、大学生の頃に書いたのかもしれない。

10月

12

秋の虫の声

窓を開けると秋の虫の声が聞こえる。
きっと彼らは年を越さない。
そう思ったら、幼い頃に同じことを考えていたことを思い出した。
切なくて身悶えした。
息が苦しくなって困った。
ナイーブだったな。

9月

23

青竹踏み

昔、両親が青竹踏みをしていた。
二十歳くらいの僕は「そんなことしてもたいした効果はない」と思っていた。
ところが歳をとり、来年還暦となると、なぜか青竹踏みがしたくなる。
そのことを相方に話したら、それ用の竹を買ってくれた。
せっせと踏もう。

9月

19

ディア・ハンターのテーマ曲「カヴァティーナ」

理髪店に行った。
高校生の頃から通っている理髪店。
来月、開店から115年になるそうだ。
20歳ほど年上のマスターが、僕が来年還暦だと言ったら、「もうすぐ僕に追いつくね」と言う。
思わず「絶対追いつかない」と言った。w
顔を剃ってもらっている時、ディア・ハンターのテーマ曲「カヴァティーナ」がBGMでかかる。
高校生の時、その切ない映画を劇場で見た。

9月

17

オーバーハイムOB-Xa

大学生の頃、シンセサイザーが欲しくて、よく楽器屋に通った。
シンセサイザーはいろんな音が出るものだから、どの楽器でも調整次第でいい音が出るものと思っていた。
ところが、機種によって出しようのない音があるのがのちのちわかる。
オーバーハイムという会社が出していたOB-Xaというシンセの音は抜群によかった。
単音を聴いているだけで気持ち良いのだ。
いまではPCにダウンロードしてその音が再現できるようだが、デモを聞いてもあの頃の輝きには物足りない。

9月

15

ひまわり

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展の目玉の一つに、ゴッホの「ひまわり」があった。
僕が中学三年の時に大きなゴッホ展があり、その時に見たひまわりとそっくりそのままだ。
同じ絵を二度見ることになったのかと思ったが、ひまわりは全部で七点あり、そのうち三点がとても似ている。
その細部の違いを解説したパネルが置かれていた。
それを見て、中三の僕が見たのはファン・ゴッホ美術館収蔵のものだったとわかる。
中三の僕と、今の僕。
あの頃のことが思い出される。

9月

14

ルノワール・劇場にて

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展に行ってきた。
一番興味があったのは「聖エミディウスを伴う受胎告知」だったが、一番心をうばわれたのは、ルノワールの「劇場にて(初めてのお出かけ)」だった。
その絵が展示されているとは知らなかった。
その絵は母が好きで、複製画が部屋に飾ってあった。
本物は初来日だというから、母も見ていなかっただろう。
母さん、本物を見たよ。

8月

20

鉄腕アトム

幼い頃、鉄腕アトムが大好きだった。
鉄腕アトムのつもりになって車の前に飛び出したりするので、母は冷や冷やしていたという。
子供には子供の見方があったが、大人になると鉄腕アトムの別の面が見えてくる。
なぜ原子力で動いたのか。
ロボットという存在はどう扱われるべきか。
善と悪はどのような関係か。
人間同士の対立に、ロボットという存在が介入するとどうなるのか。

8月

16

帽子

以前から帽子が好きだった。
母がよく被っていた。
だけど恥ずかしかったので僕はあまり被らなかった。
学生の頃には帽子を被っている人はほとんどいなかったように思う。
会社勤めしているときに物は試しとスーツに合うフェルト製の中折れ帽を買った。
それを被っているとよく「ギャングか」といわれた。
以来、旅行先で帽子を買うようになった。
ケニアとか、アイルランドとか、ハワイとか、そこでなければ買えないような帽子を選んだ。
去年鎌倉で夏に良さそうなパナマ帽を買った。
この暑いのに出かけるときに被る。