Search Results for: 気持ちいい

9月

5

100億人の地球

100億人の地球に何が必要か?
もし今のままの競争社会が続き、欲望に従い搾取し続けるのなら、いつか破滅するしかないのでしょう。
人間の社会だけを考えていても、何も変わらない。
もっと大きな視点と、いままでにはない区別を考えることで、人類の精神が別の領域にいくことが必要です。
ロシアの科学者ヴェルナツキイ、フランスの数学者であり哲学者であるエドゥアール・ル・ロア、そして同じくフランスの神父であり科学者であったテイヤール・ド・シャルダン。
これら三人が作りあげたヌースフィアという概念を、ケン・ウィルバーが発展させている。
そのフィジオスフィア(物理圏)、バイオスフィア(生物圏)、ヌースフィア(精神圏)について考えてきた。
いろんな人と一緒に考えてみたい。

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しばらくサイトがダウンして、「日刊 気持ちいいもの」が発行できませんでした。
今日から再開します。

「ヌースフィアってなに?」という映像シリーズをYouTubeで始めました。
ぜひ見に来てください。
第1回は「入口」と題して、フィジオスフィア(物理圏)、バイオスフィア(生物圏)、ヌースフィア(精神圏)の区別についてお話ししました。
https://youtu.be/in2kgaW8fG4

回を重ねていくうちに、生命の進化、精神の進化、人類が将来取り組まざるを得ないことについてお話しします。

8月

23

忘れる

散歩をしていて、「今日の気持ちいいものはこれを書こう」と思いつく。
しかし、帰ってきたらそれがなんだったか忘れた。
思い出そうとしても思い出せない。
「思い出す」のは過去のこと。
いまを生きるとしたら「忘れたことを味わうこと」。
「忘れたことにまとわりつく感情」を思い出して、あまり気持ちよくない。
でも、きっと思い出すべきときに思い出す。

8月

19

イルカの波乗り

波に乗って何頭ものイルカがやってくる。
人の波乗りと違うのは、
波の背でジャンプすること。
気持ちいいんだろうな。

8月

17

対話

対話は基本的に気持ちいい。
気持ちよくならない対話は、対話している者同志またはどちらかが、優劣をつけようとするもの。
それは対話ではないことに気づく。
対話はすればするほど理解が進み楽しくなる。

7月

7

曇り空

普段、曇り空が気持ちいいとはあまり思わない。
でも、酷暑がつづいたあとの温和な曇り空はいい。
ときどき涼しい風が吹く。

6月

9

ラリる

病気の治療として薬を飲んでいる。
もちろん医師に処方された薬だ。
しかし、それを飲むと血圧が下がってフラフラする。
朝飲まなければならないので、このフラフラ状態で「日刊 気持ちいいもの」を書くのはつらい。
だけど、この「日刊 気持ちいいもの」を再開した2011年3月11日、東日本大震災が起きた。
そのときに「気持ちいいもの」なんてどうやって書いたらいいんだと悩んだように、いままた薬でフラフラしながら書いていく。
そこに心地よさが生まれるのかも。w
モネが睡蓮を描き続けたように、新たな地平を見つけていこう。

4月

11

HELL YOU TALMBOUT

映画「アメリカン・ユートピア」が評判だったので見た。
ディヴィッド・バーンのライブ・パフォーマンスを映画にしたもの。
この映画の中で「HELL YOU TALMBOUT」という歌が歌われる。
曲が始まるとすぐに涙が流れる。
なんだこのエネルギーは。
気持ちいいわけではないが、何か大きな明言されてない思いが伝わってくる。
あとで調べると、HELL YOU TALMBOUT はスラングで「御託並べてんじゃねぇよ」みたいな意味だという。
ネットで調べた歌詞には「Hell you talkin’ ‘bout」と書かれていた。
何回か「Hell you talkin’ ‘bout」と叫んだあとに、「○○,say his (or her) name}と続く。
○○には個人名が入るのだが、その映画ではその名前が誰のモノなのか、説明はない。
だけどその名の人と思われる写真が大写しになり、わきに生年月日と没年月日が表示される。
なかにはその人の家族が写真を持っているようなものもあった。
映画を見ている最中にはいったいどういう人の名を呼んでいるのかわからなかったが、生年月日と没年月日から、寿命をまっとうした人ではないことだけは理解できた。
あとで調べると、みんな人種差別によって殺された人のようだ。
言語化されていないエネルギーに圧倒された。

3月

12

味わい直す

気持ちいいものを文章にするというのはどういうことかというと、そのひとつは「味わい直し」なのだ思う。
人は、いろんな状況でいろんな体験をする。
たとえば、失恋のあとにどんなにおいしいものを食べても、おいしくは感じられなかったりするだろう。
だけどもし、失恋の感情から解放されて、気分のいいときに同じものを食べたら、とてもおいしく感じるかもしれない。
それに似ている。
気持ちいいものを書くことで、気持ちいいものの再体験をする。
ただ文章を書くだけだと再体験にはならないが、文章を書きながら、その体験をまざまざと思い出していくと、新たな体験となる。
すると、かつてした体験がみずみずしくよみがえる。
ことによっては、気持ちいいと感じなかったものも、そう感じるようになる。
それを通して何を見つけるか。
それが大切なんだなと、理解できるようになった。

3月

11

11年

11年前の今日、311が起きた。
11年前の今日、『日刊 気持ちいいもの』を再開させた。
この11年はいろんな感情をもたらす。
きっとどの11年でも、いろんな感情をもたらすだろう。
でも、僕のこの11年は、ほかの11年と比べると、特別な11年になった。
どの11年を取っても特別ではあるが、この11年の特別さとは異なる。
優劣ではない。
異なるということが大切だと思う。

11月

22

切ない話

この世には、切ない話がたくさんある。
切ない話を「気持ちいい」とは言えないけど、切ない話の中にわずかな希望や、善意や、ささやかなハッピーがあると素敵だなと思う。
じんわりと心温かくなる。

11月

2

不愉快なこと

身の回りで不愉快なことが起きると、気持ちいいものは思い浮かばなくなる。
「仕方ない」とも言えるが、「修行が足りない」とも言える。
「もっとがんばれ」とも言えるが、「たまには力を抜いたら」とも言える。
「いい加減ばかなことはやめろよ」とも言えるが、「ここが踏んだりどきだ」とも言える。
どれかが真実でどれかが間違いということはない。
そういう言葉のあいだで揺れている自分を見つめよう。

10月

1

繊細さを忘れながらそれに直面する

幼い頃、日本語の歌が嫌いだった。
テレビからはいろんな歌謡曲が流れていた。
それがことごとく恥ずかしかった。
多くは恋愛の歌で、とても僕には歌えないと思った。
ところが、大学生の頃には慣れてしまった。
理系だったので文章はほとんど書かなかった。
書くとなんだか恥ずかしかった。
だから日記は二日と続いたことがない。
会社に入った。
会社にいると文章を書かざるを得ない。
だけど、自分のことを書くのではなく、企画書とか、何かの趣意書だとか、他人事ばかり書いていた。
そうやって自分の内側にある繊細さを忘れていった。
自分のことを書くと途端にその繊細さに直面する。
「僕がいいたいことと違う」
いつもそう思っていた。
言葉にすると、大切なニュアンスがごそっと抜け落ちるような気がした。
だけど、それに慣れていった。
「日刊 気持ちいいもの」を書くことは、そういう繊細さを忘れていくことだ。
まるっと感覚を捉えて表現する。
一方で、うまくは書けないニュアンスに直面し続けることでもある。
あなたは「いったいどっちだ」と思うかもしれない。
うまく説明はできないが、どっちでもあるんです。

9月

11

還暦

還暦を迎えてしまった。
気持ちいいかというと、微妙だ。
よくこの歳まで生きられたという点ではありがたいことだが、これからの時代、安心して生きて行かれるのかということを考えると、かなり不安だ。
不安を抱えても、それはそれとして、楽しく生きていこう。
生きていくというのは、常にエッジに立つことだから。

8月

24

ワクワクするエネルギー

何かにワクワクすることはいいことだ。
ワクワクしているといろんなアイデアが浮かびやすくなる。
だからワクワクするために何かを準備しておくことは大切なこと。
たとえばこの「日刊 気持ちいいもの」は、僕にとってワクワクのための準備であり考察であり、体験の反芻場所だ。
ワクワクのエネルギーが枯渇すると、かつて書いた文章を読む。
するとワクワクの種が復活してくる。
だけど、そうは行かないこともある。
まさにそのとき、大切な内的探求が始まる。

7月

11

執着はいいものであり、悪いもの

「気持ちいいもの」は執着でもある。
ここに書けば書くほど、その執着は明確になる。
「執着はいいものであり、悪いもの」と知っているから「わざわざそれを書くなんて無駄なことだ」と考えることは簡単だ。
でも実際にやってみると、簡単なことだけではないことが理解できるし、体験できる。
それを「体験してない頃の僕」に説明するのは難しい。

7月

6

思い浮かばない

この数日、気持ちいいものが思い浮かばない。
そういうことはときどきある。
でもなんで?と思ったとき、ふと思い出した。
二十年以上前、箱根に行ってある場所をお酒とお米で供養したこと。
また箱根に行ってみるかな。

6月

21

迷いの渦

気持ちいいものを感じ続けていくと、いつか迷いの渦に巻き込まれるようになった。
「これは本当に気持ちいいのか?」
とても曖昧。
他人に理解してもらうために「気持ちいいもの」を書くのであれば、互いに気持ちいいと思っていることを書き続けるしかなくなる。
その先に進もうとすれば、つまり自分の中にある気持ちいいに降りていくとき、なんだかわけのわからないものに触れる。

6月

18

ゆっくり漕いで速く漕ぐ

その泳ぎ方を僕はイルカから習った。
ゆっくりと漕いで加速して最後を速く。
水は最初から速く漕ぐと着いてこない。
最初はゆっくりと漕いで水が着いてくるのを待つ。
着いてきたら加速して、最後は速く。
でも、さじ加減が微妙。
同じようにやっても全然進まないこともある。
ぐーっと進めると気持ちいい。

6月

6

ブライアン・メイのファンファーレ

金曜に地上波で映画「ボヘミアン・ラプソディ」が流されたそうだ。
それを聞いてあの映画では、始まる寸前に泣かされたことを思い出した。
確かここにも書いたよなと、過去の『日刊 気持ちいいもの』を見たら、書いてない。
No.03712だ。
映画が始まる直前に鳴る20世紀フォックスのファンファーレが、ブライアン・メイのギターで演奏されていたのだ。
その音を聞いた途端に僕は感電死した。
なきがらが映画を見ていた。

6月

4

どこにあるのか

気持ちいいものは、いったいどこにあるのか?
ときどき、考える、感じてみる。
「いまここ」なんて簡単なものではない。
他人に伝えるのにそれしかいいようがないから「いまここ」という。
「いまここ」であり、「永遠の彼方」であり、「宇宙大の広がり」であり、「妄想」であり、「意味のないもの」でもある。
それを知るとはどういうことか。
語り尽くせぬ言葉が溢れる一方で、沈黙が訪れる。

4月

30

風を通す

ひさしぶりに南と北の窓を開けてうちに風を通した。
冬の間は寒くてなかなかできないけど、暖かくなってきたので気持ちいい。
前もって網戸の掃除もした。

4月

8

あるレベルの悟り

かつてこの「日刊 気持ちいいもの」で、あるレベルの悟りができたと書いた。
そう書いて始めてなるほどと思う。
「あるレベルの悟り」が、レッテルになる。
そうあることが当たり前になる。
そうなったとき、僕はちっとも悟ってない。
自己の肥大が現れる。
そう書いて満足する僕の肥大に直面する。
なるほど。

4月

2

深遠な智慧に開かれていく

いつも「気持ちいい」状態でいることなどできるのだろうかと、この『日刊 気持ちいいもの』を始めた。
その結果、いろんなことが理解できるようになってきた。
最初はきっとリフレーミングの限界と可能性を知ることになるんだろうと思っていたが、結果としてはそれ以上のものになってきた。
かつて理解できなかったことのいくつかが、急に理解できるようになってきた。
なぜそのようになったのか、きちんと説明したいが、それが難しい。
いままでもそのようなことがときどき起こったし、これからも起こっていくんだろうなと漠然と思う。
たとえば、かつて僕は相方の感情に揺らされていた。
相方が怒ると僕も怒らざるを得ない。
だから一度喧嘩が始まると収めるのに時間がかかった。
それが以前ほど揺らされなくなった。
なぜか? と問われて、答えることはできるが、通り一遍の答えでは聞いた人はその恩恵を受けとることはできないだろう。
たとえば、「あらゆるモノがつながっていて、それらに感謝するしかない」と知っていても、相方が怒れば僕も怒る僕だった。
感情が揺らされないためにはいろんな体験と智慧が必要だった。
そしてまた僕は、さらに変化していくんだろう。
相方に感情を揺らされることも起きるだろう。
歳だからそう思うという見方もあるだろう。

3月

23

感情の種

「日刊 気持ちいいもの」では、書いている僕の「感情の種」を探しているという側面がある。
感情の種とは「そのことを思い出すと感情が動いてしまう」その「何か」だ。
嬉しい、たのしい、悲しい、怒りなどと、いろんな種がある。
そういう種があることを知った頃には、「そんなこと、知らなきゃ良かった」としか思えない。
その種を思い出しては感情が揺らされるから。
しばらくするとその感情の揺れをどうやって止めればいいかと考えるようになる。
そのおかげで心理学や宗教の本をたくさん読んだ。
それだけが理由で読んだわけでもないけど、それも理由の一つだった。
そうやって歳を重ねることができて良かったなと思う。
いろんな種があることがうれしい。

3月

11

10年前の今日

10年前、3月1日から試運転した。
3月1日に1991回として、3月11日が2001回の正式稼働。
『日刊 気持ちいいもの』を再開した。
正式オープンの言葉とともに、以下のような文を流した。

—–

生きていること

生きていることは何よりも気持ちいいこと。
もし生きていなかったら
気持ちいいも、気持ち悪いもない。
「愛する」の反対が「憎む」ではなく、
「無関心」とマザーテレサは言った。
「気持ちいい」の反対が「無感覚」としたら
感覚を持てる「生きている」状態は
どれほど素敵なことだろう。
生きている限り、
気持ちいいことを感じていこう。

—–

朝の七時頃に配信して、その日の14時46分、東日本大震災が起きた。
翌日から気持ちいいとはいえない状況の中、「気持ちいいもの」を配信し続ける。
偶然だとはわかっていても、、、