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2月

18

3768個の気持ちいいもの

僕がなぜ「気持ちいいもの」を書き続けているのか、その理由はここに書いた。
https://www.tsunabuchi.com/feelgoodblog/what_is_daily_feel_good/
そして、自分の心の中で様々なリフレーミングが現れるのだろうと期待していた。
3768個も書き続けてきて、そのリフレーミングが複雑に積み重なり、なんともいえない状態になりつつあることを感じる。
これはきっとある種の悟りなんだろうなと僕は思う。
ただし、ブッダの悟りとは明らかに違う。
いろんなお経にあるように、別世界へと僕の心は旅立つことはない。
かつてバリ島でニュピの瞑想をしていたとき、朝日とともに弥勒菩薩が飛んで来て、一体化した経験がある。
もちろん夢だと思うのだが、夢にしては生々しいし、それで一気に目が覚めた。
それ以来、ときどきそのときのことを思い出す。
もちろん、この「気持ちいいもの」を書いているときにもしばしば思い出した。
言葉にすることでできた森。
多次元な感覚を再生するための鍵。

10月

17

人の意識は融合できない

人は、悲しいほどに
ひとりひとり別の存在。
だからこそ、
互いに意見が相容れないことがある。
コンピューターなら何台でもつなげて
いろんなデータの共有ができるが、
人間は、
何人もの人が集まって討議すると
必ずと言っていいほど
意見が割れてしまう。
人によって何を大切にしているかが
異なるからだ。
逆に見ると、コンピューターには
そのようなことがない。
個人が尊重する主義のようなものより
そのときどきに与えられる
判断の根拠によってのみ
物事を決めていく。
個人の主義のようなものは、
感情にも根差している。
それがいいか悪いかは
どう考えるかによるが、
コンピューターはそれを考える
判断の根拠を
与えられるまで待っている。
AIはいつかその判断の根拠も
考えるようになるのかもしれないが、
それはもしかしたら人間にとっては
危険なことかもしれない。
人間は意識の融合ができないからこそ、
互いに言い合う必要が生まれ、
少しの共通認識と、
多くの意見の異なりを生む。
意見がみんな違うから
ある程度の歯止めがかかるが、
判断が一度に共有され,
ある方向に動くとなったら
一度に動けるAIは
人間という存在をどう扱うのか?
そう考えると、人間同士のいざこざは
実はそれほど悪いものでもないように思えてくる。

10月

5

人を動かすもの

瞑想したり、気持ちいいものを書いたりして、
自分の感情に向き合うと、
自分が何に影響されているかが
わかるようになってくる。
心地よさと恐怖と概念だ。
どれも物質として存在するものではない。
しかしそれらの影響で
自分の心やからだを動かしてしまう。
それらはいいことでもあり
悪いことでもある。
人間は、
動物には持ちようのない概念を持つことで、
地球上に繁栄できた。
お金という概念のおかげで社会ができ、
いろいろと問題はあるものの
そこそこ幸せに生きていける。
インターネットが定着し、
AIが生まれてくる現在、
個人がそのことに関して
深く考えておかないと、
間違った方向に進むことになる。
ホーキング博士が言っていた、
「AIは人類にとって最悪、
 もしくは最良の結果を
 もたらす可能性がある」
は、個人個人のあり方で
どちらの方向に行くのかが
決まってくるように思う。

9月

4

顔面付壺型土器

東京国立博物館の特別展
「縄文〜1万年の美の鼓動」に
顔や、マンガのような人のからだが
付けられた土器があった。
一番驚いたのは土器全体が
からだを現わしていて、
土器の縁に顔があり、
土器の中程に出産で出て来る
赤ちゃんの顔があるというもの。
土器と人体が一体化している。
AIが発達して、
IOTが当たり前になった時、
これらの縄文土器はきっと
しゃべる器として
復活するのではないかと
妄想を抱く。

6月

25

理解不能なこと

これから世界には理解不能なことが
きっと増えていく。
理解不能だけど、
それを受け入れることで
みんながうまくいくようなこと。
人間が人間になる寸前、
きっとプレ人間たちには
「言葉」というものがどういうものか
よくわからなかったはず。
同じように、膨大なデータを読み込み
生み出される本当のAIの判断は
きっと多くの人にとって理解不能だ。
それを上手に受け入れることで
いままで不可能だった何事かが
うまくいくようになるかもしれない。
ただ偽物のAIと本物のAIの区別が
難しく、本物のAIが登場したとき
きっと混乱するだろう。
偽物のAIとは特定の人や人たちの
意図を大きく反映させたもの。

5月

31

区別する

何かの本で、
「愛することとは」という問いに
「あるがままを受け取ること」と
あった。
そこで考える。
「愛することの反対は?」
本に書かれているそのままを
反対にすると、
「あるがままを受け取らない」
となるであろうか。
「あるがままを受け取らない」
としたら、それはどういうことか。
「差別する」ということかなと思う。
つまり「こうならいい」
「これはだめ」とすることだ。
でも、常識とか作法というものは
「こうならいい」「これはだめ」
がなければ成り立たない。
では、こうしたらどうかな?
「こうしたらみんなが喜ぶ」
「こうしたらみんなが怒る」
でも「喜ぶ」と「怒る」ほどの
感情的な距離がない場合は
「こうしたら気持ちいい」
「こうしたら不快」
という区別になるかな。
もっと微妙な場合は
「こうしたらちょっと気持ちいい」
「こうしたらちょっと不快」
となるのかな。
「こうならいい」「これはだめ」

「こうしたらちょっと気持ちいい」
「こうしたらちょっと不快」
の微妙な区別は
もし本当のAIや
ベーシックインカムの時代が
来るのであれば、
大切なものになるのかも。
そもそも人間は
言葉でいろんなものを
区別することで繁栄してきた。
この「区別」と「差別」の違いを
自分にとってはっきりとさせないと
ならないのかも。
「区別」するといいながら
どうしても「差別」しているような
ことがないかな?
僕は使っているうちに
混同してしまうし、
状況によって「区別する」
といいながら
「差別する」ようなことが
生まれている気がする。
「区別する」という
シニフィアンに
「差別する」という
シニフィエがつく。
「区別」はきちんと
「区別」のままにしよう。

5月

15

チェット・ベイカー没後30年

ジム・ホールと共演した『アランフェス協奏曲』をときどき聞いたが、
チェット・ベイカーのことはほとんど知らなかった。
それがファンになったのはヒロ川島と出会ってから。
川島さんはチェットと1986年の初来日の際に知り合いとなり、
不思議な縁を結ぶ。
昨日、5月13日はチェットの命日。
毎年この日にはヒロ川島が「CHET BAKER MEMORIAL NIGHT」をおこなう。
没後30年という節目にその音を聞きに行った。
川島さんはただチェットのファンだからと
MEMORIAL NIGHTをおこなっている訳ではない。
彼はチェットの楽器を譲り受けたのだ。
はじめてそのことを聞いたときは「なにそれ?」と思った。
その話を聞いたとき、彼はまだ会社員だった。
月に一度、練習のためにライブを開くという贅沢をしていた。
収入を得ていたという点ではプロだが、
音楽だけで生計がたっていた訳ではないので
セミプロという状態だった。
その彼になぜチェット・ベイカーが
本人の使っていた楽器を上げたのか?
いろいろと話を聞いてやっと合点した。

話は飛ぶが、昔々空海が唐に行った。
当時の空海はまだ無名で、
なぜ唐に行けたのかすら定かではない。
恵果和尚を訪ねると、空海の資質を見抜き
即座に奥義伝授を始め、半年ですべてを伝え、
恵果は入滅する。
もちろん空海はその後日本に帰り大活躍するのだが、
チェットと川島さんの関係に似たものを感じる。
チェットは1986年に川島さんと出会い、
1988年5月13日に亡くなる。
僕と川島さんは1996年に出会った。
ある日、僕の車の助手席に
川島さんを乗せ走っていると、
チェットと川島さんの不思議な話を
聞かせてくれた。
不思議な話はたくさんあるのだが、
そのひとつは確かこんなものだった。
チェットが亡くなりしばらくすると、川島さんの友人から
「チェットのいい曲だけ集めてカセットに録音してくれ」と頼まれた。
川島さんは録音されてないカセットを探すと、
ラベルに何も書かれていない一本のカセットを見つける。
よく見ると少しだけテープが進んでいたので
何か入っているのかな?と思い、そのカセットをかけてみる。
するとレコーダーから聞こえてきたのは、
英会話の練習テープのようだった。
「Repeat after me.
 Good by Mr.Baker.
 Good by Mr.Baker.
 Good by Mr.Baker.」
川島さんはそんな英会話教材を聞いたこともなかったし、
なぜそのように録音されているのかもわからなかった。
そんな不思議な話をいくつか聞かされ、
「本当かよ」と思ったし
それを口にすると
「本当なんだよ」と川島さんは叫んだ。
そのとき、車内でかけていた
ラジオの曲が変わった。
すると川島さんが「あーっ!」と叫ぶ。
「どうしたの?」と聞くと、
「この曲、ポップなんだけど、間奏の部分を
 チェットが吹いているんだ」
しばらくして、チェットの吹くアドリブが鳴り始めた。
そんなことがあったので、
今ではふたりの不思議な縁を疑うことはない。
何しろその後の川島さんの活躍は
チェットから楽器を託された意味を体現している。
チェットの生誕70年には
「JAZZ-Love Notes」という番組を
テレビ東京で2クールにわたりOn Airする。
ちなみにLOVE NOTESとはチェットが生前作りたいと言っていたバンド名。
それを川島さんは1989年に立ち上げ、いまも活動を続けている。
彼は30回「CHET BAKER MEMORIAL NIGHT」を続けてきた。
川島さんは普段別の楽器を使っている。
1年に一度「CHET BAKER MEMORIAL NIGHT」にチェットの楽器で演奏する。
素晴らしい供養だ。

5月

11

未来を変える目標

上田壮一さんのお話しを聞いた。
上田さんは Think The Earth の理事で
SDGs for schoolの実行委員。
『未来を変える目標
  SDGsアイデアブック』
という本を出版した。
Think The Earth とは何かは
こちらをご覧ください。
http://www.thinktheearth.net/jp/
SDGとは
Sustainable Development Goals の
略で、2015年に国連で採択された
2030年までに達成すべき
ゴールのこと。17項目ある。

1.貧困をなくそう
2.飢饉をゼロに
3.すべての人に健康と福祉を
4.質の高い教育をみんなに
5.ジェンダー平等を実現しよう
6.安全な水とトイレを世界中に
7.エネルギーをみんなに
  そしてクリーンに
8.働きがいも経済成長も
9.産業と技術革新の基盤を作ろう
10.人や国の不平等をなくそう
11.住み続けられるまちづくりを
12.つくる責任つかう責任
13.気候変動に具体的な対策を
14.海の豊かさを守ろう
15.陸の豊かさも守ろう
16.平和と公正をすべての人に
17.パートナーシップで
  目標を達成しよう

それぞれ簡単にできることでは
ないのですけど、
『未来を変える目標』には、
これらを実現するために
人々がやっている
簡単な例が載せられ、
これら17のゴールを実現するために
知るべきことが
クイズで提示されます。

3月

16

シンギュラリティ

もう数十年後にはAIが
人間の知能を越えると言われている。
そのためのハードルは
たくさんあるけど、
次々とクリアされるだろうと
言われている。
もし本当にAIが生まれたら、
それは人間にとって
理解不能なものになるはずだ。
それを一生懸命理解しようとする
人間が愛おしい。(自分も含めて)
一番の問題は、そこに至る手前で
人間のエゴによって
生まれる状況である。
たとえば、AIを神のように扱い、
それに人びとを
従わせようとするなど。
さらに、
本当に理想的なAIができたら、
膨大なデータによって
高速で判断するため、
きっと人間にはいいとも悪いとも
判断しにくい状況が
たくさん生まれるはずだ。
人間のエゴが
それを歪んだ解釈に導くことこそ
怖いことなのだと思う。

1月

30

個性ってなに?

AIが仕事に導入されるようになると、
人間の仕事は個性的なものになるという。
そこで、自分の個性とは何か?を考える。
あるようなないような。
やって来たことを振り返ると
ある偏向があることは確か。
まあそれが個性かな。