4月

18

バシャール

1987年に「バシャール」という本が出版された。
不思議な本だった。
日本に与えた衝撃は小さなものではなかったと思う。
このバシャールをチャネリングしているダリル・アンカ氏がこの2月に飛んでもないことを言い出した。
2026年の中盤から2027年にかけて、地球上にいるすべての人が認識できる宇宙人とのコンタクトが起きるというのです。
そのためには、より自分自身であることが重要であると話していました。
その様子をYouTubeで見ることができます。

4月

13

木製のれん

昔、うちに木製ののれんがあった。
玄関から廊下に入るところにかけられていた。
人がそこを通るとカラカラと音がした。
最近はあまり見ないな。
ネットでは売っているので使っている人もいるんだろうな。

4月

12

バリ島のオードトワレ

昔、バリ島のスーパーに行くと、有名なオードトワレが安い価格で売られていた。
匂いを嗅ぐと、本物とは微妙に異なる気がした。
国ごとに価格を変えて売っているのか、それとも偽物なのかよくわからなかった。
いまでもネットで安い価格でオードトワレが売られていると、あれかな? と思う。
実際のところはよくわからないけど。
そういうことを思い出すと、妙に懐かしい。

4月

11

春の祭典

ふと春の祭典を思い出した。
ピエール・ブーレーズとクリーブランドのが名盤だと聞いてそれを買ったが、スコアを見ると聞こえない音がたくさんあった。
オーケストラの音が全て聞こえたらどうなるのか興味を持って、いろんな演奏の春の祭典を聴いた。
全ての演奏を聴いたわけではないけど、ズービン・メータとニューヨークフィルの演奏が一番好きだった。
最近聞いてないな。

4月

10

ウグイスの声

ちょっと山あいに入ってウグイスの声を聞いた。
春の喜びを歌っていた。

4月

4

本当の中立とは何か

本当の中立とは、立場によって違う。
そのことをよく肝に銘じておかないと、判断を間違う。
スイスにとっての中立と、日本にとっての中立は違うし、アメリカにとっての中立も違う。
それは僕にとっての中立と、あなたにとっての中立が違うように違う。
だから、誰かにとっての中立とは何かを知りたいのであれば、その誰かについてよく理解していないと判断できない。
マスメディアの中立について知りたければ、マスメディアのことをよく知らないとならない。
「中立なんてない」と声を上げる人の気持ちもわかる。

4月

3

麻ひしお

昔、もう30年以上前。僕が会社員だった頃、サンフランシスコへワークショップに参加しにいった。
6日間山にこもり、いろんなことをする。
高い崖からロープ一本で降りたり、何キロもの距離をワイヤーを張った滑車にぶら下がって滑り降りたり、普段できできないようなことをした。
そのワークショップでは食べるものにほとんど調味料が使われず、結果として塩分がほとんど入ってなかったし、味も素材自身の味しかしなかった。
そういう食事を6日間してサンフランシスコに戻ったとき、街で食べる食べ物の味がきつかった。
味の付けすぎ、香りの付けすぎ、コーラは飲もうとして吹いてしまった。
それ以来、僕の味覚に以前とは別の枠組みができた。
味が美味しいというよりは、からだに良さそうという区別。
それを感じることは滅多にない。
次にそれを感じたのは、キヨズキッチンがオープンしたとき。
久しぶりの感覚が嬉しかった。
その感覚をひさしぶりに思い出した。
それが「麻ひしお」を食べたとき。
「手打ちそば くりはら」でそれを食べた。

4月

1

桜吹雪を泳ぐ

桜がハラハラと散り出した。
散った桜の花びらが、風に吹かれ道の上を波のように流れていく。
上からは桜吹雪が降り注ぐ。
その中を自転車で走った。
流れの中を泳いでいるよう。
なぜか笑顔になる。

3月

30

ホーケキョ

うちから駅までのあいだに桜並木がある。
相方がそこを歩いていると、「ホーケキョ」とウグイスが鳴いたそうだ。
練習したら「ホーホケキョ」になるのか、それとも「ホーケキョ」が方言なのか。
僕は今年まだウグイスの声を聞いてない。
聞きたいなぁ、

3月

25

古城

ムソルグスキーの「展覧会の絵」に「古城」という曲が入っている。
そのラヴェル編曲版は、メロディーをアルトサックスに吹かせている。
サックスというと、ジャズやポピュラー音楽でよく使われるが、オーケストラに使われることは滅多にない。
ところがこの曲ではオーケストラの中で演奏されるサックスを聞くことができる。
ジャズのサックスは演奏者によって音色がかなり違う。
リードが薄いためかビリビリと響くような音を出す人が多い。
ところが、オーケストラで演奏されるサックスは、とてもふくよかで滑らかな音を出す。
音を聞くだけで気持ちいい。
古城ではその音色を堪能できる。

3月

23

骨が取れた

アジの開きを食べた。
細い骨が歯のあいだに挟まった。
外出先で気がついた。
舌で触るが取れない。
気になってしようがない。
なかなか取れない。
が、やっと取れた。

3月

21

サクラサク

妄想する。
「さくら」の「ら」は、「彼ら」の「ら」かもしれないと思う。
だとしたら、「咲く」がたくさんあるから「さくら」と呼ばれるのかも。
いやいや、「良」という字がカタカナの「ラ」になったり、ひらがなの「ら」になったりしているので、「咲良」が「さくら」となったのではないか? とも思う。
所詮妄想だが。

3月

20

詩を書く

友人に頼まれて結婚式に朗読する詩を書いたのが、大人になって最初に書いた詩だった。
僕にとって詩は、何か特別なもので、でも、どう特別かは説明できないものだ。
端的にいうと、霊的で聖なる言葉とでも言えるだろうか?
だからなのか、あまりたくさん書くつもりはない。
「書く」ものではなく、現れてくるものだから。

3月

19

踊る相方

僕が暗い顔をしていると、相方が踊り出す。
まったくバカな踊りを。
手をあげて腰を振って足踏みして踊る。
おかげで素に戻れます。
ありがとう。

3月

17

ボビー・コールドウェル

昔、携帯電話がまだ四六版の本ほどの大きさだった頃、通信料がバカ高いので、お金持ちや仕事関係で持たざるを得ない人しか携帯電話を使っていなかった。
その頃の僕は携帯電話の代わりとして、留守番電話とポケットベルを組み合わせて使っていた。
外出中の僕に誰かが至急連絡を取りたいとき、うちの留守番電話に録音してもらう。
すると自動的に録音されたことがポケットベルに発信される。
ポケベルを見て公衆電話からうちの留守番電話を聞いて、連絡取りたい人に折り返していた。
うちの留守番電話はBGMがボビー・コールドウェルの「スペシャル・トゥ・ミー」だった。
それはデビューアルバムの一曲目。
パーラメントのCFに取り上げられて、久しぶりの来日公演も聴きに行った。
ボズ・スキャッグスの「ハート・オブ・マイン」もいい曲だ。
僕の生活のいろんな場面を彩っていただきました。
ありがとうございます。
R.I.P.

3月

16

ちらりほらり

桜がちらりほらりと咲きはじめた。
つい僕は「ちらほら咲いている」と言いたくなるが、「ちらりほらり」のほうが優雅でいい。
花の咲き方まで効率化してはいけない。w

3月

15

ポトフを作る

お鍋に水を入れ、火にかけながら適当に切ったジャガイモ、ニンジン、タマネギ、キャベツ、それにベーコンを入れる。
僕の好みはそこにカルダモンを一粒、鞘から出してすりつぶしてパラパラとかける。
沸騰させてから極弱火にしてコトコトと20分ほど煮る。
最後に塩と胡椒で味を整えて出来上がり。
ムフフ。

3月

14

モクレンの花

モクレンの花が咲いている。
白い花で覆われた木。
一つ一つの花がみんな空に向かって伸び上がっている。
木全体が白い炎で包まれたよう。
根本は散った花びらで絨毯になっていた。
伸び上がって散る。
高潔な心の持ち主のようだ。

3月

11

12年

あの日から、12年が経った。
この12年、日本は辛い日々を過ごしてきたように思う。
明るい予兆すら見えない。
それでも生きていく。

3月

9

歩くこと、走ること

このところ足が動かない。
一年ちょっと前に入院して以来、長い距離を歩けなくなった。
半日椅子に座っていると、足が動かなくなる。
一時間くらい歩いたり、自転車で走ったりすると、少し楽になる。
十数年前まではマラソンしてたのに。
今ではジョギングも難しくなってしまった。
歩いたり走ったりすることの爽快さを思う。

3月

8

PC用キンドル

普通の本だと、「ある言葉がどこかに書かれていた、どこだっけ?」
というとき、目を皿のようにして探さなければならない。
ところがPC用キンドルだと、単語を検索するだけで掲載部位が示される。
なんと便利だこと。

3月

7

Gジャン

暖かくなったのでGジャンで外に出た。
気温が肌に伝わってくる。
春はもうすぐ。

3月

5

時代の言葉

それぞれの時代にまったく新しい言葉が生まれる。
言いたくても言えない思い。
それを表現するために新しい言葉が生まれる。
その言葉はみんなが言いたかったことだから、すぐに伝わっていく。

3月

2

歩く歩道

動く歩道と書こうとして、歩く歩道と書いてしまった。
馬鹿丸出し!

3月

1

手荷物二個

出張、帰りの飛行機は後部の廊下側。
搭乗するのに最後となった。
指定の席に着くと、すでに手荷物を入れる場所がない。
二個の手荷物を持って困ってしまった。
CAさんが「別の場所でもいいですか?」と言って探しにいってくれた。
すると近くにいた娘さんが「こちらどうぞ」という。
手荷物を一個、荷物入れから取り出して、飛行中持っていてくれるようだ。
ありがたい。
もう一個はCAさんが少し離れたところに入れてくれた。