2月

17

太陽

万物にエネルギーを与えてくれるめぐみの存在。
太陽にはいくら感謝しても感謝しきれない。
でも、あまりにも当たり前な存在なので、普段はそんなことを忘れている。
誰かと一緒。
ありがとう。

2月

13

泣くほどの感動

瞑想を習うまでは、絶対泣かない人だった。
それが瞑想を習うようになり、ヒーリング・ライティングというワークショップを主催するようになり、涙もろくなった。
もしかしたら歳のせいかもしれない。
一方で、自分の感情に正直になったのだとも思う。

2月

9

「聖なるもの」について

20回ほど「聖なるもの」について書いてきた。
集中的に書くことで理解できたことがある。
それは「いろんなものを聖なるものとして見られること」。
同じものでも見方によって「聖なるもの」になったり、ならなかったりすること。
これはきっと個人的なことだと思うが、些細な文章の違いで「聖なるもの」を感じられたり、感じられなくなったりすること。
その差がどこにあるのか、今の僕には説明ができない。

2月

7

子供のサッカー大会

イスラエルとパレスチナから子供たちを招き、平和のために日本の子供達と一緒にサッカーをしてもらおうという企画が立ち上がり、手探りで実現に向け準備して行ったとき、その仲間に入れてもらった。
2003年のこと。
子供でもイスラエルとパレスチナの人たちが同席するのは不可能だろうと言われ、あちこちから無理なことはするなと言われ、何か起きたらどう責任を取るんだと責められた。
それでもボランティアは集まり、無事にイスラエル・パレスチナから子供たちは来日し、サッカー大会当日は予定人数を大幅に上回るボランティアが集まった。
サッカー場を走る子供達は、小学生で、さほどサッカーが上手いというわけではなかった。
はっきり言えば、「子供がサッカーをしている」ただそれだけに見えた。
だけど、「海を見たのははじめて」という子がいた。
もちろん国外に出るのはほぼ全員はじめてだった。
「行ったことのない国で、普段は敵だと言われている子供と会う」
それはどんな体験なんだろうと考えたとき、彼ら一人一人がヒーローに思えた。

2月

2

渡辺満喜子さんの歌

ヴォイスヒーラーの渡辺満喜子さんと親しくしていただいていた。
あるときは江ノ島のお宅でテキーラを飲みすぎたり、化粧品の原料となる大麻畑で満喜子さんが歌い、僕がディジュリドューを吹いて伴奏をしたり、万喜子さんのヴォイス・ヒーリング・セミナーにも何度か参加させてもらった。
満喜子さんの歌を聞くと、ときどきゾクゾクッと寒気のすることがあった。
そのことを満喜子さんに聞いたことがある。
「つなぶちさんは霊的な感覚を寒気で感じるのかもね」
そう言われて、なるほどと感じた。

1月

30

言語化できない違和感

昔、大学を卒業する頃まで、文章を書くのは難しいことだった。
なぜなら、長い文章を書くと、書きはじめに思っていたことと違うことを結末に書いてしまっていたから。
書き出しに書いた話題の例などを書いているうちに、なぜか違う話が割り込んでしまう。
書き上げるためにはテーマを一貫したものにしなければならなかった。
つまり、僕はものを考えている時、いろんな可能性について考えていて、文章を書いているとそれらが出てきて制御できなかったのだ。
急に話が飛んだら、読者は話題についてくるのが難しくなる。
それが制御できるようになったのは就職してからだ。
なぜそれができるようになったのか、その理由はよくわからない。
ある新聞社からラジオについての記事を書いてくれと頼まれ書いた。
書くまでは書けるかどうか心配だったが、思ったより簡単に書けてしまった。
文章を書くのはさほど難しいことではなくなった。
今から思うと、この頃に書きたいテーマや結論に向かって書くのが当たり前になったのだと思う。
社会では常にそのようなことを求められていたからかもしれない。
その結果、自由な連想の力は弱くなったような気がする。
そのことに直面するのは、会社を辞め、ライターになり、ヒーリング・ライティングを始めてから。
いろんな人とリフレーミングについて考えたが、そのさなかにうまく言語化できない違和感を感じるようになった。
その違和感にはいろんな要素が絡んでいたが、その一つが「文章をまとめることと、自由な想像力との綱引き」だったように思う。
文章をまとめることに慣れてしまったため、何か話を聞くとたいていどのように話を展開していけばいいのかすぐにわかるようになった。
ところが、他人の話を丁寧に聞いていくと、自分が思い描く展開では表現できないことを言われることになる。
さらにその話をリフレーミングしようとすると、もっと未知の話を丁寧に聞いて行かなければならなくなる。
自分の理解していることだけでは文章がまとめられなくなった。
さらに難しいのは、心に隠した内容があること。
誰でも人に言いたくないことの一つやふたつは持っている。
多くの場合、そのことがその人の性格の根幹に関わっていたりする。
他人の中にそのようなものを見つけるようになると、似たことを自分の内側にも見つけることになる。
自分自身にも隠しておきたいことを思い出してしまうと、それを隠すために色々と考えるが、文章をまとめる感性が働くと、何かを隠すことが難しい。
スパッとまとめるためには真実だけしか表現できない。
だけど、それを掘り下げていくと、さまざまな心の矛盾に行きあたる。
ここで僕の探求はしばらく頓挫することになる。

1月

29

心の区別

ヌミノーゼについて書こうとして、僕が思い出す「聖なるもの」について書き続けているが、心のことについて書く時に難しいなと思うは、自分の心の区別だ。
僕自身、心の区別についてはあまり厳密に考えたことがない。
時々考えはするが、極めて大雑把にしか考えてこなかった。
しかし、心にはいろんな側面があって、全部一括りにしていると自分自身が騙されることになる。
どんなことかというと、まず簡単に理解できることは、No.04690にすでに書いたが、年齢とともに心が変わっていることだ。
10歳の時の僕と、現在の僕では感じることは違う。
10歳の頃の思い出を書くとき、その時の心持ちで書くのか、現在の自分として書くのかで、現れてくるものが変わってしまう。
だから、ヌミノーゼを探ると言っても、今の自分が探るのか、かつての自分が探るのかで、見えるものが異なることになる。
その違いを自分がしっかり理解するのはもちろん大事だが、その違いを、この文章を読んでいるあなたにも理解してもらうのは、さらに難しいことになる。
そこで、心の区別について一度に全部説明するのではなく、少しずつ説明していこうと思う。
以前にも書いたことだが、年齢だけではなく、想定する立場によっても違うものが見えることがある。
教師としての立場からいうことと、何かの先輩としていうこと、何かの後輩としていうこと、学生としていうことでは、少しずつ見る現実、表現する内容が変わる。
普段の会話ではそのようなことはほとんど気にせず、話す相手によって、話す状況によって、適当に変化させている。
しかし、繊細に感じていくと、その適当な変化は、じつは会話においてとても重要なことだったりする。
同じ一つの文章でも、話している立場を少しずつ変えていくことがある。
たいていはその変化は、一人の人格、今なら「つなぶちようじ」という人格に吸収できる範囲での変化なので許容できるものとなるが、全く相異なる意見を持つ人格と同調して、双方の言い分を書くような時は、あたかも自分ではない人の言い分を書くかのようにして書いたほうが、他人が読む時には理解しやすいのでそのようにしてしまう。
しかし、ヌミノーゼのように、自分の内側にしか現れてこないものを文章化しようとするとき、自分の心の発達や成長が、ヌミノーゼの質を決めていることがあるようだ。
その違いについて考えようとするとき、自分の心の中に区別が必要となってくる。
それを書いて表現するのはとても骨が折れる。
目盛をつけるわけにはいかないし、明確な違いがどこかに現れるわけでもない。
しかし、確実にあることだけは理解できる。
かつてそこに区別がなかった頃の僕に、それを尋ねても答えはないのだが、今の僕にはその答えを出すことができるだろう。
しかし、どういう答えが正しい答えなのか、どういう疑問に対して出すべき答えなのかが定まっていないので、立場も言葉もふらふらと安定していない。
こういう状態であることを明確にすることで、何かの区別が生まれたらいいなと、今は願っている。
こういう状態だから、あなたは書かれた文章を、どういう立場で書いているのか、感じて読んでもらえると、何かまた違った解釈が生まれてくるかもしれない。

1月

26

K君と墓参り

大学生の頃、理系だった僕たちは、実験レポートの提出前に内容を照らし合わせたり、教え合ったりすることを口実に、仲良しがそれぞれ車で真夜中にファミレスに集まり、コーヒーを飲みながらいろんなことを話した。
ある日K君が「これから母さんの墓参りに行きたい」と言いだした。
一緒にいたT君と僕は驚いた。
零時を過ぎて、そろそろ帰ろうとか思っていたときにそんなことを言われた。
「もうすぐ丑三つ時だよ。こんな時間に墓参りしてどうするの?」
K君は「いいじゃん。きっと楽しいよ」。
どうしてそんな話になったのか詳しくは覚えてないが、「母さんに二人を紹介したい」という感じだったように思う。
K君は幼い頃に母親を失っていた。
その思い出のいくつかを聞いていた。
そういう文脈で断るほどT君も僕も冷淡にはなれなかったので、三人でK君の母親が眠る郊外にあった大きな霊園に午前一時過ぎに行った。
あたりは真っ暗。
だけど、幹線道路が霊園のそばを通っていたので、何も見えないというほどではない。
うっすらと影が見えるお墓がたくさん並ぶなか、K君は「こっこちこっち」と母親のお墓に向かって歩いて行く。
怖くないというわけではないが、怖くてたまらないというほどではない。
K君の母親に会いに来たのだ。
「ここだ」と言って一つの墓石を示された。
暗くてよく見えないが、そこで三人で手を合わせた。
すると「鈴の音が聞こえたね」とK君がいう。
「きっと母さんが喜んでいる」
僕には聞こえなかったが、否定はできなかった。
そして、本来であれば怖いはずの、見知らぬ霊園の真ん中にいて、思い出話を聞いていたK君の母親といると思うとさほど怖くはないという、不思議な感情を味わった。

1月

24

心霊研究会

中学一年のとき、本屋で「UFOと宇宙」という雑誌を見つけた。
創刊号には小松左京や横尾忠則のインタビューが掲載されていた。
その雑誌を手にして学校に行き、友達に見せた。
数人が興味を持った。
その子たちと「よくわからないもの」について語り合った。
そのメンバーのひとりがたまたま「中一時代」か「中一コース」か、雑誌に投稿した。
「心霊やUFOに興味のある人からのお手紙を待っています」
それが掲載され、全国から数十通のお手紙が届いた。
返事をしようと言うことになり、「心霊研究会」の会報を何度か送った。
その第Ⅰ号の発送の日、誰かがこんなことを言った。
「あれ? メンバーはこれで全員だっけ?」
そこには四人の友達がいた。
ところが、そう問われると、確かにもう一人、誰かメンバーがいたような気がした。
寒気がした。

1月

23

バシャール

会社勤めをしていた頃、本屋で不思議な本を見つけた。
『バシャール』と題されたその本は、ページを開くとワープロの原稿をそのまま印刷していた。
当時のワープロは斜めの線がなめらかではなく、ギザギザになっていた。
つまり、当時の普通の本の作り方をしていなかった。
「なんでこんな状態の本を売るんだ?」とかえって興味を持った。
読むと、面白いと同時に不快にもなった。
何度も途中で中断し、しばらくしてまた続きを読むということを繰り返した。
読み終わるのに一年くらいかかったと思う。
読むとわかったようなわからないような、モヤモヤした感じが続く。
ヌミノーゼとはちょっと違うかもしれないが、その入口に立っていたのかもしれないと、いま感じる。

1月

21

聖なるものと幽霊

聖なるものを目の前にしたとき感じるヌミノーゼについて書くために、その感覚を思い出そうとしていろいろと書いているが、そこに幽霊が出てくるのはいかがなものかと感じている人もいるだろうと思い、これを書く。
でも、そんな人がいるかどうかは実は問題ではない。
僕の中にそう疑う部分があるから書く。
つまり、「聖なるものと幽霊を混同していることについて心配している」という僕の内側について、あたかも誰かがそう考えているだろうからと前置きして、他人事のようにして書こうとしている。
こういうことは実はよくあって、「僕の内側にある別の面の僕」というのは、説明が面倒なので「きっとこう考える人がいるだろう」とことわって、実は自分のことを書いている。
そう言ったほうが話しが早いし、誤解も生まないだろうという前提でそう書くが、その時点で実は多少のミスリードを含んでいる。
こういう些細な区別はどうでもいいと感じる人が多いかもしれないが、厳密な話しをするときには大切な話になる。(ここにも些細なミスリードが含まれたね)
それに「聖なるものと幽霊」は少し似ている部分があるように感じる。
「聖なるもの」とは何かであるが、宗教の歴史をたどっていくと、時代によって変化があることがわかる。
たとえばそれはエリアーデの「世界宗教史」を読めば明確になるが、そのことと個人の精神の発達とをよく比較して考えなければならない。
たとえば、十歳の頃の僕と、二十代の頃の僕、そして現在の僕では変化がある。
その変化を把握した上で精神の発達について考えなければならない。
こう書くのは簡単だが、具体的にどう変化したかを指摘するのは、自分にとってはあまり簡単なことではない。
なぜなら、自分の考えは、時代によっての変化を、普段明確には区別してないから。
十歳の時の僕のことを書いている最中に、実は六十歳の感覚で表現していることはよくある。
つまりそれは、十歳の頃の感覚そのままの表現ではなく、六十になった僕というフィルターを通しての表現になる。
それを手放すのはあまり簡単なことではない。
そのことを意識して始めて可能になる。
その些細な違いを言語化するのは困難を伴う。
そこには明確な区別があるという前提に立つことによって可能にはなるが、その前提に立たない限り、それはできない。
僕の若い頃には「聖なるものと幽霊」の区別は曖昧だった。
だから、幽霊についての強い興味があったのだと思う。
つまりそれは、若い頃から「聖なるもの」に興味があったが、幽霊との区別が曖昧だから、幽霊についても興味があったのだと思う。
こう区別を与えているのは、現在の僕に他ならない。
若い頃の僕は、そもそも「聖なるもの」に出会う機会がなかった。
科学の台頭により、宗教の価値が低くされていた時代だったからだろう。
「聖なるもの」の代替物として「幽霊」があったように思う。
だから「聖なるもの」について書くとき、幽霊が出てきてしまう。

1月

18

京都のお寺で聞いた読経

大学生の頃だっただろうか。
京都を旅行していたらあるお寺で読経が始まった。
どこのなんというお寺かも忘れてしまった。
だけどそこの読経が凄かった。
僧侶が数名で読経していたのだが、聞いたことのない和音になっていた。
それが読経の言葉とともにうねっていく。
楽譜にはしようがない微妙な和音の変化。
音楽のように心地よいのと同時に、底知れない畏怖を感じた。

1月

17

ブラバンの秘密

「聖なるもの」に向き合ったときの感覚をヌミノーゼといい、その感覚がしたときのことを思いだしているが、本当にこれもヌミノーゼと呼べるかどうかは判断が分かれるところだと思う。
でも、僕の感覚はそうだと伝えてくれているので、そのように扱う。
高校生の頃、僕はブラスバンドに入っていた。
そこで指揮をやらせてもらえることになった。
指揮をしていた先輩から、演奏会の直前にメンバーを集めて必ずこれを言うようにと、演奏会を成功させるための秘密の言葉を教えてもらった。
そのときの僕にはそれを言う理由がまったくわからなかった。
「そんなこと」としか思えなかった。
そこで文化祭の時、3回の演奏のうち1回を、わざとそれを伝えないで演奏をした。
すると何も間違いのない演奏だったが、ほとんど誰も感動しなかった。
きちんとそれを言うと、観客も演奏者も、とても感動する演奏会になった。
それを知って以来、僕はこの言葉を呪文と呼んでいる。
それはこんな言葉だ。
「これからする演奏はたった1度のものだ。同じお客様に聞いてもらうことはもうない。僕たちも同じコンディションでやることはもうないだろう。だから、いまの僕たちにできる最高の演奏にしよう」
これをいうとなぜかゾクッとした。
そして、その演奏にみんなが感動する。
うまいとか下手とか、そういう次元ではない何かが働いた。

1月

15

ケニアで見た天の川

山中湖で見た天の川から20年以上たち、仕事でケニアに行った。
広大なサヴァンナの真ん中にあるロッジに泊まり、ある晴れた日の夜、外に出た。
かつて見た夜空とほとんど変わらぬ夜空を見上げた。
草原の真ん中だから、肉食動物が出てきても不思議ではない。
それが畏怖の度合いを一層強めた。
自分がここで「生きている」とはとても言えなかった。
広大な空間の片隅で、まさに生かしておいてもらっていた。

1月

14

はじめて見た天の川

小学生の頃、家族で山中湖に旅行して、夜に生まれてはじめて天の川を見た。
夜空にびっしりと星が敷き詰められていた。
その濃度が高い流れが天の川だった。
びっしりと敷き詰められた星に畏怖を感じた。
なんともいえない恐ろしさ。
「こんな宇宙の中で生きているのか」と。

1月

13

聖なるもの

人は聖なるものに触れて動かされる。
その感情はなかなか表現しにくい。
オットーという神学者はそれをヌミノーゼと言った。
科学的にものを考えるようになり、聖なるものに触れる体験を忘れかけているかもしれない。
これからしばらく僕なりの、聖なるものとの接触について思い出してみようと思う。

1月

9

今朝の朝日

光と影がまっすぐに来た。
朝の寒さが光に解けていった。
思い出が美しいものに変わるように。

12月

5

社会の流れ

社会の流れを変えようとすると、はじめのうちは何をしても空回り。
しばらくして変化が出てくると、自分はたいして何もしてないと思う。
すっかり変わると「ああよかった」と思うだけ。
でも、そういう人がたくさんいたから変わったんだろうな。

12月

4

大きな嘘

昔、大きな嘘はばれないモノだった。
最近の世の中は正直化が進む中で、大きな嘘も「嘘」と認知されるようになってきた。
みんなが目を覚ましたとき、どんな世の中になっているのか楽しみ。

11月

26

好転反応

太極拳を始めて数日で体調が悪くなった。
「だから太極拳が悪い」というつもりはない。
きっと好転反応なのだと思う。
いろいろと我慢してきた。
40になる頃に血糖値が高いと言われ、ジョギングを始め、マラソンを走るようになった。
頑張りすぎたかもしれない。
2011年に311で、放射性物質が飛来したので外で走らなくなった。
これがよくなかったようだ。
2年もすると10kmを1時間では走れなくなってしまった。
走っていた頃は体重が82kgを下回ることはなかったが、走る代わりに泳ぐようになると、筋肉が落ちるせいか体重も下がっていった。
この10年で8kgやせた。
それで太極拳を始める。
いろんな歪みが出てきたのだろう。
力を抜いて太極拳を続け、いい感じで生きていきたい。

11月

26

走る

最近は走れなくなった。
10年前までは1時間に10kmくらい走っていたが、いまは10km歩くのでもひーひーいう。
無理はしない程度に、少しずつ走る距離を伸ばしたい。
できることなら以前の状態に。
できないのならできるとこまで。
そういう状態だから、走るということの気持ちよさがじわりとわかる。
「走るのつらい」とか思っていたが、「つらい」のなかにほのかに香る気持ちよさを思い出す。

11月

23

変化

僕は、昨日の僕とは違う。
ここにこれから書く、こんな文章を書こうとは思わなかった。
それに、聞いたことのない音楽を今聴いている。
だから、昨日の僕とは違う。
明日もきっと、また違った僕に会う。

11月

22

マルチスピーシーズ人類学

『モア・ザン・ヒューマン』というマルチスピーシーズ人類学についての本を読んでいる。
人間は環境がないと生きていけない。
それは、どんな動物にも当てはまること。
しかし人間はそれをおろそかにしてきた。
環境を大事にするとはどういうことか?
それは、そこに生きている生命をすべて大事にすることかもしれない。
だとすると、そこに生きている動物すべてに、人間と同じような権利を認めることが必要かも。
そのようなことを探るためのマルチスピーシーズ人類学。
人間だけをどんなに大切にしても、環境が大切にされなければ、結果として人間も大切にされてない状態が生まれる。

11月

22

断定的な決定が物事をいびつにすることを知る

正しいかどうかわからないことを「正しい」と言い切ったり、できるかどうかわからないことを「できる」と言い切ることが、物事をいびつにして行く。
未来は常に僕たちに開かれている。
いまわからないことは「わからない」と言おう。
その上で対応を考えないと、間違いが雪だるま式に大きくなっていく。

11月

22

切ない話

この世には、切ない話がたくさんある。
切ない話を「気持ちいい」とは言えないけど、切ない話の中にわずかな希望や、善意や、ささやかなハッピーがあると素敵だなと思う。
じんわりと心温かくなる。