3月

6

ツバキ文具店

本屋で一冊の小説を手にした。
小川糸の『ツバキ文具店』。
多部未華子の主演で
NHKでドラマ化と記されている。
小説の頭を読んで面白そうかなと買った。
はじめの数ページを読んで
しばらく放っていた。
ひさしぶりに取りだして読むと
止まらなくなり、
数時間で読み切ってしまった。
鎌倉が舞台だが、
そこに住むということが
どんなことなのか
わかるように書かれている。
鎌倉に住んでいる知り合いが
うらやましくなった。
文字を書くという些細な行動に
たくさんの意味を持たせていて
心地よかった。

3月

5

裁縫屋さん

近所に商店街通りがある。
かつてそこは賑わっていたが、
少し離れたところに駅ができ、
街の中心はそっちに移った。
その、少しさびれた商店街に
小さな裁縫屋さんがある。
朝の七時頃から開店しているが、
お客さんがいるのを見たことがない。
そこは50年ほど前、
母とたびたび行っていた店だ。
母がその店に入ると
布やらボタンやら毛糸やらを選び
なかなかその店を離れない。
幼い僕はスツールに座って
「やれやれ」と思っていた。
母は専業主婦だったので、
1日、僕以外の誰とも
話さないような日もあっただろう。
そういうとき、この店に来て
年の近いそこの店主と
気晴らしのためのお話しを
していたのではないかと
歳を取ったいまの僕は思う。
そのお店に50年ぶりくらいに入った。
セーターのボタンが取れてしまい、
似たボタンを探すためだ。
朝の七時半、
「おはようございます」と言って
お店に入る。
二度呼んだが誰も出て来ない。
大きな声で呼び直すと、
店主と思われる
おばあちゃんが出てきた。
たけど僕には50年前の店主と
同じ人がどうか、思い出せなかった。
「これと同じボタンが欲しい」
と言って、小さなボタンを手渡す。
「あるかな」と言いながら
ボタンの箱が並んだ棚に近づいていく。
白い厚紙でできた箱の表面に
その箱に入ったボタンが
きれいに貼り付けてある。
昔その棚にはもっとたくさんの
ボタンが並んでいたように
記憶している。
十分の一くらいに
規模が縮小していた。
あれかこれかと迷ってあとで
「これならどうかね」と
ひとつのボタンを手渡してくれた。
まったく同じではないが
似たボタンが僕の手の上に乗った。
「これ買います。いくらですか?」
「100円」
100円を払った。
「僕、50年くらい前、
 ここによく母と来たんですよ」
「あら、じゃあここを
 開店した頃ですね」
会釈して店をあとにした。
母のその後は聞かれなかったので
僕もあえて口にはしなかった。

3月

4

デスカフェ

デスカフェに参加した。
死について自由に語り合う場。
暗い雰囲気になるのかと思いきや、
参加者がみんな
笑って語り合っていた。
イメージとは違ってそれがよかった。

3月

3

自転車で坂を登る

昔は自転車で軽々登った坂でも
最近は少々苦労が伴う。
歯を食いしばって、肘を上げて、
体重を足に載せて、
うんうんいいながら登る坂。
途中でくじけそうになり、
足首を使うようになり、
腿がプルプルするけど我慢して
登りきったときのうれしさ。

3月

2

知ってはいけない

矢部宏治の『知ってはいけない』を読んだ。
『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』や
『日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか』などを書いた著者の
昨年夏に書かれた新書。
前の2冊を読んでいたら
目新しい話はないが、
よくまとまっている。
この新書に書かれているような話が
なぜ国会で取り上げられないのか
まったく不思議だ。
いや、ここに書かれていることが
本当だからこそ、国会では
取り上げられないのかもしれない。
E・ガレアーノの
『収奪された大地』と一緒に読めば
いまの政治家が何をしたいのかが
よくわかる。
それにしてもこの
『知ってはいけない』、
よく書いたなと思う。

3月

1

子供の服装

駅のそばでふと気づくと、
まわりの人たちが
みんな黒い服を着ている。
僕も黒い服だった。
これだけ黒い服装が集まると
遠くから見てきっと
カラスの集団のようだろう。
その脇を子供たちが走っていった。
赤いランドセルに黄色いカバー、
水色のセーターに緑の半ズボン。
白黒の世界に流れていった色彩。