Search Results for: 気持ちいいもの

3月

18

気持ちいいを引き寄せる

ひさしぶりにこの『日刊 気持ちいいもの』を再開した日、東日本大震災が起きました。
朝に創刊号を発信し、昼過ぎに大地震が起きたのです。
それから数ヶ月は苦痛や困難を感じながら「気持ちいいもの」を発信しました。
とてもいい修行でした。
いまもまた似た状態になってきました。
何か大きな発見があるのかも。

2月

8

書きたいことを書く

気持ちが勝手に動いてしまうような書きたいことを書く。
それが罵倒であろうが、卑猥であろうが関係ない。
たとえ他人にとって読むに堪えないものであろうとも、書き手にとっての書きたいことが最優先だ。
読者に嫌われることを恐れるようでは、気持ちいいものは書けまい。
ケルアックはこう言った。
心の底から底抜けに書きたいものだけを書け。

1月

11

念仏を唱えるように

毎日のように気持ちいいものを書いていると、ときどき、念仏を唱えるように同じことを書ければ楽なのになぁと思う。
同じことをしながら、同じことを感じる。
きっとそのほうが同じ感情でいるためには便利だろうな。

12月

24

多次元に生きる

臼田夜半さんとお話しをしたとき、地湧社の社長だった増田圭一郎さんが同席していた。
何かの話がきっかけで、増田さんが片桐ユズルさんの話をした。
オルダス・ハクスリーの翻訳をしたかただという。
調べると何冊かのハクスリーの著作とアレクサンダー・テクニークに関する本の翻訳をなさっている。
そのなかから『多次元に生きる』を読んだ。
とてもいい本だ。
特に「両生類の教育」という章に興味を持った。
僕たちは言語の世界と非言語の世界の両方に生きている。
その二つの世界に同時に生きているから両生類。
そこにこんなことが書かれていた。

ほんとうの『道』に好悪はない。愛憎から離れてはじめて道の本来の姿が見えて来る。好きなものを嫌いなものに対立させること、それこそ心の病いである。

神を何か特別なものと思ったり、神を何かよりも貴いと思ったりしているうちは、そのひとは未開の地に住む野蛮人であり、子供であるのだ。その人にとって神がすべてと同じになってはじめて一人前になったといえるのだ。

気持ちいいものばかりを抽出していると、どうしてもときどき気持ちよくないものに直面する。
気持ちいいものと一緒にいるとき、実は気持ちよくないものとも一緒であることがよくわかる。
気持ちいいものを感じるとき、気持ちよくないものも一緒に居させてあげる。
今日はクリスマスイブ。
クリスマスキャロルを思い出すと悲しい感じがする。
もちろん楽しいものだという側面もあるのです。
でも悲しくも感じる。
言語の世界ではどちらか片方だけを取り上げますが、非言語の世界には両方存在するのです。
愛する家族ほど、実は憎たらしかったりするのです。
それを表現してもいいし、表現しなくてもいい。
僕たちは両生類だから。

12月

20

4000回

この号で『日刊 気持ちいいもの』は4000号になりました。
ご購読ありがとうございます。
5000号にはささやかな個展でもできたらいいなと思っています。

10月

31

水泡

水に潜って、泡がプクプクと浮いていくのを見るのが楽しい。
空気中でもああいう泡がポコポコッと浮いていけばいいのにと思った。
気持ちいいものを想像していると、ときどき不思議なイメージを見る。

10月

20

別人になる

「気持ちいいもの」がなかなか思い浮かばないとき、いままで書いた「気持ちいいもの」を読みなおすことがある。
そして気付く。
書いたときには気持ちよかったことが、いまはちっとも気持ちよくないことを。
読みなおすことでそのときの感覚を思い出すが、なかには思い出せないものもある。
いったいどうしたことだろう?
きっと僕のなかにはたくさんの別人がいるのだろう。

10月

19

共通の悩み

昨日の「気持ちいいもの」を書くのに、「麦茶ポット」をなんと呼べばいいかわからなかった。
そこで適当に検索して「麦茶ポット」の名称は何かを探す。
するといろんな名前が出てきた。
麦茶ポット
冷水筒
サーバー
ジャグ
ドリンクサーバー
冷水ポット
ピッチャー
カラフェ
みんななんと呼べばいいのか悩んでいるんだなぁ。

8月

20

書くことがない

3906回も気持ちいいものを書いていると、もう書くことがないと思うことがある。
それをなんとか乗り越えてきた。
もう乗り越える必要はない。
書くことがないことが気持ちいいから。
「書くことがない」ことは良くないと感じているあいだ、その気持ちよさは現れてこない。
書くことがないこともいいものだ。

8月

6

錯綜する思考

僕のなかには矛盾がたくさんある。
あるときは好きだったものが、別のときには鬱陶しくなり、あるときは興味のあったものが、別のときには無関心になる。
そういう自分の勝手さは、たいてい意識されない。
気持ちいいものを3900回も書いていると、そういう自分に向き合うことになる。
そういうとき、ちっとも気持ちよくない。
だけど、この不快さが新しいものを生み出す力になる。
不快だけど気持ちいい。
こういう矛盾した僕の心よ。
不快だけど気持ちいいという、論理的には理解し難い感覚よ。

7月

30

感覚の麻痺を超越

快感はしばらくすると当たり前になり、同じ快感を得るためには強い刺激を与えなければならなくなる。
気持ちいいものを書くことは、これに逆らっている。
だからこれは普通に考えると続かない。
それを越えて続けていくと何が起きてくるのかという実験だ。
「わずか、ほのか、かすか」を感じること。
夢を持つこと。
いまを生きること。
力を抜くこと。
環境に委ねること。
うまくいかないときは手放して再創作すること。

6月

26

誰かに読んでもらわなくてもいい文章を書くこと

毎日、誰かに読んでもらわなくてもいい文章を読んでもらっている。
そう、これを読んでいるあなたにだ。
ありがとうございます。
こう書いた瞬間に僕は、誰かに読んでもらうための文章を書いている。
誰かに読んでもらうか もらわないかは、書いているときにはよくわからない。
結果としてそうなるか、ならないかだ。
だけど、誰かに読んでもらうための文章と、自分が響くためだけの文章には違いがある。
それはかつてはうまく区別できなかったが、いまはできる。
それを言葉にしようとするとき、言葉の難しさに直面する。
それを適切に概念として区分する言葉がないのだ。
しかも、3870回も曖昧にしてきたことは、言葉にするとどうも矛盾しているように読めてしまう。
だからここに書いても誤解が生じるかもしれないけど、言語化しない限りはその区分は明確にはできないと思い、書いてみることにした。
自分にだけ響くことは、矛盾に満ちている。
だから、誰か宛に書こうとすると、文章に修正が入りがちになる。
必ず修正する訳ではない。
自分に対して書いているから修正はしないようにする。
だけど、それでも修正してしまう。
自分が修正していると気づけば、修正をしないことを選択できる。
しかし、修正しているかどうかがとても微妙なときがある。
なぜなら基本的に言葉とは他人に伝えるものだからなのだと思う。
一方で、自分だけの心に留めておく言葉もある。
それは、言葉として区分しないと意味がわからないような気がするからだ。
たとえば、いま論じている、誰かに読んでもらうための文章と、自分が響くためだけの文章の差。
これは「日刊 気持ちいいもの」を書くとときどき感じる差なのだが、それをきちんと言語化できる言葉を知らない。
説明を重ねればそこに自分が思い出す感覚は思い出せるが、他人がそれを正しく汲み取ってくれるかどうかはわからない。
きっと汲み取れないだろうと思う。
その微妙な区別。
その微妙な区別は他人に伝えて果たして意味があるのだろうか?
きっと意味は生まれてくるのだろう。
ただし、僕が感じている感覚と、これを読んで何かを感じる人の感覚は、同じかどうかはわからない。
これは、きっとどんな感覚も、言葉になっている感覚はすべてそうなのだろう。
だから、誰かに読んでもらうための文章と、自分が響くためだけの文章の差は、気にしなくてもいいのかもしれない。
でも、あえて気にしてみる。
そんなことに意味があるのか?
意味は生まれてくるのだ。
なぜそう思うのか?
かつてBlog「水のきらめき」にこんなことを書いた。
長いが引用する。

___引用開始

今年(2010年)1月に『奇界遺産』という本が出版された。大判で3,990円もする写真集だ。これがなかなか僕の目を釘付けにしてくれる。

表紙もインパクトがあるが、内容もなかなか凄い。なかなか出会えない景色がどこまでも続いていく。

(中略)

洞窟の中にある村、ブータンの男根魔除け図、直径34mのミクロネシアの島に住む日本人、巨岩の上にある住宅、地獄絵図のテーマパーク、神々の像で満たされた奇想の庭園、中華神話のテーマパーク、巨大龍の胎内を巡る道教テーマパーク、キリストをテーマとした遊園地、世界の果て博物館、世界に散らばる「珍奇」を蒐集した元祖変態冒険家の博物館、貝殻で作られた竜宮城(写真のページ)、世界八大奇蹟館、ミイラ博物館、アガスティアの葉、死体博物館、ボリビアの忍者学校、三万体もの人骨が眠る巨大な地下迷路、人骨教会、エリア51、7万人が聖母を目撃した聖地ファティマなど、世界の不思議なものや景色や人などをゴリッと撮影してある。

これらの写真を撮影した佐藤健寿氏はオカルト研究家を続け、ある疑問を抱いたという。それは「これ(オカルト)って本当に必要なのだろうか?」という疑問だ。こんなことに一生を捧げてもいいものか。この疑問にあのコリン・ウィルソンが『アトランティスの遺産』という本の中で答えてくれたという。

ネアンデネタール人が滅び、現世人類たるホモ・サピエンスが生き残ったのは、洞窟の中に獲物の壁画を描き、それを槍で突くという魔術的行為を行ったからである。

この一文のいったいどこがその答えなのか、一見しただけではちっともわからない。しかし、佐藤氏はこんな文を書いている。

壁画、すなわち<芸術>であり<魔術= オカルト>の始まりであるそれは、その時点において、いわば<究極の無駄>であったに違いない。岩に絵を描き、槍で突いてみたところで、お腹が満たされるわけでもなく、むしろエネルギーの浪費にしかならないのだから。最初に岩に絵を描いて槍で熱心に突いていた奴は、多分、仲間内から狂(猿)人扱いされたはずである。しかし結果的には、この絵を描くという狂気じみた行動を通じて、狩猟の成功がただの運任せから期待を伴う予知的なものとなる。やがてそれがある段階で自然の因果と同調し、制度化したものが、祈りや儀式となった。その結果、このホモ・サピエンスは儀式を通じて未来を想像する力(ヴィジョン)を獲得し、安定した狩猟の成功や、自然の変化に対応することが出来たから、現代まで生き残ったというわけである。つまりはじめは<究極の無駄>として生まれた呪術的想像力こそが、他の動物たちを押しのけて、生存と進化へ向かう道を切り開いたというわけだ。

無論、多くの識者達が口を酸っぱくして指摘してきた通り、青年期の悩みにコリン・ウィルソンは劇薬、すなわち<混ぜるな危険>である。しかし私はこのアウトサイダーならではの大胆な発想に、大きな感銘を受けたのだった。<芸術>と<オカルト>、一言でまとめると<余計なこと>には、実は人間を人間たらしめてきた謎が、もしかしたら隠されているのかもしれないのだ。確かに現代においても、人間だけがUFOやUMAを見るし、変な建築物やオブジェを作るし、見えないものを見えると言い、そこにないものを信じてみたりする。しかしこの事実をラスコーの逸話にたとえるならば、これは人類最大の無駄どころか、むしろ人類に与えられた最高の天賦である可能性すらある。つまり<余計なこと>、それは人間が人間であるために、絶対的に<必要なこと>だったかもしれないのである。

以上の試論を踏まえた上で、私は「現代のラスコー」を探すべく、旅にでた。世界各地を歩き、この<奇妙な想像力>が生み出した<余計なこと>を、ひたすら探し求めたのである。…

『奇界遺産』 佐藤健寿著 エクスナレッジ刊より

___引用終わり
https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/p1760/ より

誰かに読んでもらうための文章と、自分が響くためだけの文章の差は、きっとここでいう「究極の無駄」だ。
だけど、その「究極の無駄」をなんとか「現代のラスコー」にさせたいと思う。
一方で、「そんな煩悩を持ってどうする?」という感覚もある。
坐禅を深く探求したことはないが、禅問答とはこういうものかもと思う。
読んでもらわなくてもいい文章を、読んでくれてありがとう。
でも、この文章は読んでもらうために書いた。
自分の心に響かせるためだけに書いたら、きっと意味が浮上してこない。
言語は他人が必要なものなのだ。
このことと、5月16日に書いた「悟った」や5月17日の「質問」がつながっている。
多くの人は「言葉」は自分と区別されていて、「言葉」として存在するものだと思っていると思う。
なぜなら、僕がそうだったから。
だけど「言葉」は、人間が形作っている社会の要素であり、その意味では人間と同列に考えてもいいものだ。
社会というホロンにとって「人間」も「言葉」もその要素であるという意味で。
つまり、人間が言葉を使っているように僕たちは考えるが、言葉が人間を動かしているとも言える。
言葉は区別を微細にし、いままでにない区別を生み出し、人間を新たな状態に押し上げて行く。
言葉のおかげで表れた区別は、たとえそれが他人に伝えられなくても、その言葉を抱える人間に新たな区別を与えることで、その人間の行動に変化を与え、やがてその変化は社会ににじみ出てくる。
このことと生命の進化がつながっている。
「自分が響くためだけの文章」には、自分の思い出と経験が感情に練り上げられた鍵となる言葉がちりばめられる。
一方で「誰かに読んでもらうための文章」は、誰かの思い出と経験が感情に練り上げられる鍵となるであろう言葉を手探りしていく。
この手探りは正しいものかどうか、誰かに読んでもらうまではわからない。
結局、「他人に読んでもらうための文章」を書いていると思いながら、「自分が響くためだけの文章」しか書けないのかもしれない。
「誰かに読んでもらうための文章」を書きながら、自分の心中にある他人と同調する部分を探しているとも言える。
つまり、自分が思い込んでいる「自分の感覚」と「他人の感覚」にそれぞれアクセスしながら書いていると言うこと。
さらにいうと、自分が思い込んでいる「自分の感覚」と「他人の感覚」にそれぞれアクセスしながら書いていると思い込む部分と、そうではない部分が同居しているということ。
そうではない部分については、またいつか書いていこう。

6月

25

自分に響くことを書く

この「日刊 気持ちいいもの」では、自分が気持ちいいと思うことを書いてきた。
まったく利己的である。
他人がどう思うかはさておく。
自分にとって響くことだけを書こうとしてきた。
そして、毎日成功したり、失敗したりしている。
そうやってきてしばらくするとあることに気づいた。
誰かに読んでもらわなくてもいい文章を読んでもらうとはどういうことか。
これはいろんなことを考えることになる。
そして、その考えたいろんなことが、一見すると矛盾している。
その矛盾の中に、というか、その矛盾自体が真実の一端だと理解した。

6月

6

好きなら好きだとはっきりいえ、ない

最近この『日刊 気持ちいいもの』では、気持ちいいのかよくないのか、はっきりしないものが取り上げられるというご意見をいただきそうな気がする。(笑)
気持ちいいものを追求していった結果、「気持ちいい」と「気持ちよくない」の二分化は正しくないなと思うに至った。
どんな感覚でも繊細に感じていくと、「いい」部分と「よくない」部分と、さらに感じていくと「いいともよくないともいえない」部分が現れてくる。
それを「いいか悪いか」で二分するのはどうも違うなと、3859回も書き続けて感じるようになってきた。
ある日には「いいな」と思っていたものが、別の日には「それほどよくないな」と思うことなどいくらでもある。
しかし、一度「いい」と言ってしまったら、「正しい自分を演出するため」にはいつでも「いいものはいい」といい続けなければならないような気がしていた、というか、そういうことを意識もせずにそれを結果として心がけていたように感じる。
最近それは違うなと思うようになった。
右翼か左翼かと問われたとき、たいていの人は違和感を感じながらかつてはどちらかを選んでいたのだと思う。
でも、最近のセンスのいい人は「どちらかには決められない」と思っている人が多いのではないか?
立場やその日の状態や、話す相手などによって、言いたいことが微妙に違うのはよくあること。
あって当然だろう。
時代がその曖昧さを許容できるものになってきた。
国会も多数決だけで考えているのは時代遅れではないか?

6月

4

言えない思い

昨日の「日刊 気持ちいいもの」を書いて思い出したことがある。
それはまだ黛敏郎が「題名のない音楽会」の司会をしていた頃、「ビギン・ザ・ビギン」をテーマに番組を作ったことがあった。
その中で黛が「ビギン・ザ・ビギンはフリオ・イグレシアスの編曲で短調の部分がなくなり、芸術性が失われた」と主張した。
「ビギン・ザ・ビギン」の原曲には長調の部分と短調の部分があり、長調の部分でかつての恋の華々しい思い出を歌い、短調の部分で現在の失恋状態を思うという構成になっている。
それを黛は実際にオーケストラに演奏させて解説し、さきほどの主張をしたのだ。
それを聞いて、僕はうなってしまった。
黛の言いたいことはわかる、でもね・・・という、「・・・」の部分がうまく言葉にならなかったのだ。
それを30年もして思い出すのだから、「・・・」の部分はよっぽどのことだろうと思うのだが、そんなによっぽどのことでもない。
なにが「・・・」に含まれていたのか、やっと言語化できるようになった。
ようは「フリオ・イグレシアスの曲もいい」と言いたかったのだが、黛の説得力には勝てそうにないので黙っていたのだ。
いまなら反論できる。
フリオの曲は長調で歌っていても、すでに哀愁を帯びているのだ。
長調の部分と短調の部分が、長調の歌のなかにギュッとまとまって絞り込まれている。
開高健がエッセイに「(モダニズムとは)1.最高の材質。2.デサインは極端なまでにシンプル。3.機能を完全に果たす」と書いていたが、まさにそれだと。
でも、30年前でも本来なら「いいものはいい」それだけですんだのだろうけど、僕はそこで口を噤んだ。
そんな些細なことでも30年後に思い出すのだから、本当に恨みに思っていることなど、死ぬまで忘れないんだろうな、心の底では、と思った。

6月

2

こころを落ち着かせる

僕が朝起きてすぐにこの「日刊 気持ちいいもの」が書けるときは、こころが落ちいている。
風のない湖の表面のように景色がはっきりと湖面に映るから、気持ちいいものがすっと書ける。
風が吹きまくる荒れた湖面には何も映らない。
だから、このメルマガを読んでいる人にひとつの楽しい読み方を伝授しよう。
この連載が朝届かないとき、きっと僕は四苦八苦している。
荒れた湖面を落ち着かせようと、風の反対側からふーふー吹いたり、うちわを扇いだり、扇風機を回したりしているはずだ。
そんなことをしても湖面は静かにならない。
たいていはさらに荒れる。
「しょうがねぇよなぁ」とあきらめた頃に風はやむ。
しかし「しょうがねぇよなぁ」では、自分の意図が働かない。
意図通りにやっていくためには僕がふーふーしなければならない。
ふーふー。
しかし、これには効き目がない。
さて、どうするか。
どうしようもないことを僕は悟った。

5月

17

質問

昨日、悟ったと書いたら、「どんな悟り?」と質問された。
確かにその質問には答えたい。
入口は「言葉」だ。
この入口を見つけたのは、いや、この入口に導かれたのは、ヒーリング・ライティングという宿題を授かったおかげだ。
それから22年間の質問と答えの日々が続く。
それらの集積のおかげ。
そして、何冊もの仏典や聖典を読んだ。
それらのおかげ。
実際に聖人と言われた方にも何人か会った。
そのおかげもある。
バリ島にニュピで通い続けたのもよかった。
幼い頃に比較的自由にいろんなことができたおかげもある。
本は好きなものを読めたし、音楽は作曲できるようになった。
そして就職して世の中を見る。
この就職先も良かった。
いろんな大手の会社と関わることができた。
そして、会社を辞めて自営になって、小さな会社ともやりとりするようになる。
このおかげもある。
毎日ささいなことで喧嘩したり和解したり言い合っている相方のおかげでもある。
経済的に苦労して、借金したりして、そういう苦労のおかげでもある。
もちろん、こうやってほぼ毎日気持ちいいものを書いていることとも関係している。
だから、これを読んでいるあなたのおかげでもある。
こういういろんな体験の積み重ねが、昨日の朝、パチッとパズルがハマったようにうまく組合わさった。
そのパズルは平面でも立体でもなく、多次元のパズル。
チチェン・イツァーで「この世界が多次元であることに深く気づけ」と言われたことにやっとたどり着いた。
その内容については、言葉では書ききれない。
でも伝えなければならないと思っている。
少しずつ書いていく。

4月

19

感情を見つめる僕といる

感情の嵐というものは勝手に吹き荒れる。
その最中にそれを観察するのは難しい。
「気持ちいいもの」を書くことで、何度もそれに直面する。
気持ちいい風が吹いているとき「気持ちいいもの」を書くのは難しいことではない。
嵐のときには難しくなる。
そのときに嵐を見つめる自分を見出す。

4月

16

何をしているのかに気づく

毎日は書けないときもあるが、せっせと気持ちいいものを書くのはなぜか?
僕はずっと心を調えるためだと思ってきた。
だけどやっと気づいたことがある。
それは、自分の心の目の曇りを取ることだった。
常識とか思い込みとか、教え込まれたこととか、そういうことを通してしか物事を見ることができなかった。
その心の目の曇りを取るためにしてきたのだ。
なるほどね。
生きていることって、気持ちいいことしかないのだな、本当は。

3月

11

8年目

毎日書くと言いながら、書いたり書かなかったりして8年がたった。
8年前の今日、7年ぶりに「日刊 気持ちいいもの」を書き始めた。
そして、その日に東日本大震災が起きた。
もう8年がたったのかと思う。
最初に「日刊 気持ちいいもの」を書き出してからは20年がたつ。
あの頃は初代のiMacとPHSを使っていた。
PHSは普通の携帯より軽くて好きだった。

11月

26

価値か無駄か

3700号以上この「日刊 気持ちいいもの」を書き続けてきた。
その価値は何かと考えた時、まったくの無駄だったとも言える。
大きな価値があったとも言える。
どちらが正しいか?
どちらかだけが正しいというなら、あの有名な質問をしよう。
パンと手を叩く。
鳴ったのは右手か左手か?

10月

5

人を動かすもの

瞑想したり、気持ちいいものを書いたりして、
自分の感情に向き合うと、
自分が何に影響されているかが
わかるようになってくる。
心地よさと恐怖と概念だ。
どれも物質として存在するものではない。
しかしそれらの影響で
自分の心やからだを動かしてしまう。
それらはいいことでもあり
悪いことでもある。
人間は、
動物には持ちようのない概念を持つことで、
地球上に繁栄できた。
お金という概念のおかげで社会ができ、
いろいろと問題はあるものの
そこそこ幸せに生きていける。
インターネットが定着し、
AIが生まれてくる現在、
個人がそのことに関して
深く考えておかないと、
間違った方向に進むことになる。
ホーキング博士が言っていた、
「AIは人類にとって最悪、
 もしくは最良の結果を
 もたらす可能性がある」
は、個人個人のあり方で
どちらの方向に行くのかが
決まってくるように思う。

5月

21

平成30年5月21日の夢

三日ほど、気持ちいいものが書けなかった。
無理をすれば書けたのかもしれないが、
書くのにちっとも気持ちよくない。
気持ちよくないのに無理に書いて
嘘をつくのは嫌だなと感じる。
いったいどうすればいいんだ?
感情は、さまざまな些細なことの
積み重ねでできている。
自分にとってどうでもいいと思うようなことが
実は重大な影響を与えていたりする。
そのことを今朝の夢で思い出した。
だけど、この体験を意味が通るように
書くことができるのか不安だ。
なぜ僕がそのことを思い出せたのか
僕自身はっきりしていないからだ。
そして、それがなぜ解決できたのか、
きっといろんなことの
些細な積み重ねであるから、
それをひとつひとつ書いても、
その話のどこが効果的だったのか、
結局わからないだろうと思う。
でも、一応書いてみる。
夢はこんなものだった。
ある日、どこかの田舎に行く。
何かの手伝いをしに行った。
その手伝いが終わって帰ろうとすると
もうすでにかなり遅い。
その場所は駅からかなり離れている。
近くにはふたつの駅があり、
どちらの駅まで歩こうかと考える。
ひとつの駅には
雪道を歩かなければならない。
もうひとつの駅には
雪道を歩く必要はない。
僕は雪道を歩こうとして途中まで行ったが
やっぱりやめたと思い
もうひとつの駅に向かう道を選ぶ。
うちに帰るのに遅くなると思い
電話をかける。
そこで気づきがやってきた。
そして目覚める。
目が覚めるとラジオで飛行機の
話をしていた。
そういえば、と思い出す。
飛行機の航路は世界中を巡っている。
どの街とどの街が、
距離は隔たっていても
関係が深いのか、
便数でわかるなと思う。
それでさらに何かが解決した。
そしてなぜか
「日刊 気持ちいいもの」が
書けるような気がした。

5月

8

イルカと泳ぐビジョン

今朝、ここに何を書こうかと
瞑想していたとき、
ドルフィン・スウィムの
ビジョンを見た。
小さな船で海に漕ぎ出すと
イルカが群れでやってきた。
ウェット・スーツを着ていたので
すぐに海に入りたいと思うが、
シュノーケルとマスクがない。
仕方ないので普段プールで使っている
競泳用のゴーグルで入る。
なんでこんなビジョンを
見るんだろう?
ひさしぶりに
『日刊 気持ちいいもの』の
バックナンバーを検索した。
こんな文章が出てきた。

No.00133 00.06.09
イルカと一緒にでんぐりがえし

先週、御蔵島に行った。
年に一度イルカと泳ぐために行く。
御蔵島のまわりには、
野生のイルカが生息している。
しかも彼らは人間を恐がらない。
機嫌がいいと寄ってくる。
今年はイルカの機嫌が
やたらとよかった。
普段なら一緒に泳いでも
息継ぎするときに
離れてしまうのだが、
今回は一緒に息継ぎをしてくれた。
それも一度や二度ではなく何回も。
若い二頭のイルカが寄ってきたので、
きりもみ状態のようにして
クルクルと潜っていったら
彼らもまねして潜ってきた。
息継ぎに海面に出ると彼らも
息継ぎした。
次は潜りながら彼らを追っかけると
上へ行ったり下に行ったり
でんぐりがえしを
何度かすることになった。
そして息継ぎ。
彼らも彼らにとっては
再びする必要もないはずの
短い間隔の息継ぎをした。
次はきりもみ状態と
でんぐりがえしを一緒にやってみた。
方向感覚がなくなる。
しかも深くなれば水圧で頭が
締められる。
彼らもなんか一緒に
グルグルしているみたいだ。
自分が回っているので
よくわからない。
息継ぎに上がると目が回っていた。
彼らもまた息継ぎし、
深くへと潜っていく。
負けてはいられない、
もう一度潜った。
その後、何回一緒に潜っただろう?
五回か六回か? 
船にあがると同行していた友人が
うらやましがった。
僕もはじめての体験だった。

これは18年も前のことだ。
今はこのときほど体力がないだろう。
でもいつかまたイルカと
泳いでみたい。
泳ぎながら彼らとときどき目が合う。
恋人と目が合ったときのように
キュンとするんだよ。(笑)

5月

2

このBlogにあった2011年から2018年3月までの『日刊 気持ちいいもの』は2018年4月のリニューアルで消去しました。

第1号から第1700号までのバックナンバーは、メールマガジン『日刊 気持ちいいもの』の読者であれば、こちらからpdfで無料ダウンロードできます。ご利用下さい。

気が向いたら、感想などをこちらからお寄せください。