4月

8

あるレベルの悟り

かつてこの「日刊 気持ちいいもの」で、あるレベルの悟りができたと書いた。
そう書いて始めてなるほどと思う。
「あるレベルの悟り」が、レッテルになる。
そうあることが当たり前になる。
そうなったとき、僕はちっとも悟ってない。
自己の肥大が現れる。
そう書いて満足する僕の肥大に直面する。
なるほど。

4月

5

創作的に読む

はじめて現代語訳された大乗起信論を偶然読むことになった。
それを古本屋で見つけたのだ。
その本は筑摩書房から昭和40年に出版された世界古典文学全集の第七巻『仏典Ⅱ』、そのなかに大乗起信論が含まれていた。
仏典の現代語訳を自分で買ったのはこれがはじめてだった。
翻訳が良かったのだろう、そこにある意味をぼんやりとつかむことができた。
しかし、一見すると矛盾しているようなことが多く出てきて、「なんのことやら?」と思う部分もたくさんあった。
だけどひとつ、これはこういうことだなと理解できることがあった。
それは「熏習」という言葉。
これはまさに「リフレーミング」のことを言っているのだろうと勝手に解釈した。
そのおかげで、その大乗起信論を何度も読むことになった。
その一点を理解したことで、この文書には読み取れていない何事かが書かれていることを信じることができた。
信じなければこの本は、とても読めなかっただろう。
信じて読むことで、あとから新たな区別が僕の心に生まれてくる。
その区別がまた別のことを理解させてくれる。
「創作的に読む」ということがどのようなことか、読んでいる最中には気づかなかったが、あとで考えるとこういうことなのだなと理解できた。

4月

2

深遠な智慧に開かれていく

いつも「気持ちいい」状態でいることなどできるのだろうかと、この『日刊 気持ちいいもの』を始めた。
その結果、いろんなことが理解できるようになってきた。
最初はきっとリフレーミングの限界と可能性を知ることになるんだろうと思っていたが、結果としてはそれ以上のものになってきた。
かつて理解できなかったことのいくつかが、急に理解できるようになってきた。
なぜそのようになったのか、きちんと説明したいが、それが難しい。
いままでもそのようなことがときどき起こったし、これからも起こっていくんだろうなと漠然と思う。
たとえば、かつて僕は相方の感情に揺らされていた。
相方が怒ると僕も怒らざるを得ない。
だから一度喧嘩が始まると収めるのに時間がかかった。
それが以前ほど揺らされなくなった。
なぜか? と問われて、答えることはできるが、通り一遍の答えでは聞いた人はその恩恵を受けとることはできないだろう。
たとえば、「あらゆるモノがつながっていて、それらに感謝するしかない」と知っていても、相方が怒れば僕も怒る僕だった。
感情が揺らされないためにはいろんな体験と智慧が必要だった。
そしてまた僕は、さらに変化していくんだろう。
相方に感情を揺らされることも起きるだろう。
歳だからそう思うという見方もあるだろう。

4月

1

タイムマシンの窓より

友人の画家アキラが、「タイムマシンの窓より アルバート・アインシュタイン」という絵を僕に預けてくれた。
なぜ預けてくれたのかというと、8年前チチェン・イツァーに行ったときの体験をアキラに話したからだ。
その体験は、あまりにも不思議で、言語化するとあまりにも嘘くさいので、あまり言いたくないのだが、一番大切な点は「この世界が多次元であることに深く気づけ」というメッセージがあったことだ。
それ以来、非二元とか、多次元とか、そういうことを手当たり次第調べて行った。
それで今朝、アキラから預かった絵を眺めていて、あることに気がついた。
大乗仏教で、なぜ曼陀羅を見ながらお経を上げるのか。
なぜユングは「黄金の華の秘密」と出会って「赤の書」を書くのをやめたのか。
ジャイナ教のアネーカーンタヴァーダから、どのようにしてケーヴァラ・ジュニャーナに近づいていくのか。
ひと言では表現できない「あること」をいつかきちんと本にしたい。

3月

30

日本人の何か

十年ほど前、インドの聖者であるパイロットババジにインタビューしたとき、こんなことを言われた。
「ヒマラヤの教えを正しく受け取れる可能性が高いのは日本人だと思う。欧米人はあらゆる価値をお金に換算してしまう。日本人は尊いものがお金に換算できないことを知っているし、そのことを行動に示してくれる」
それがなぜかを知りたくなり、いろんな本を読んだ。
それはひと言ではうまくくくれない何かだと思うようになった。
それをあえて言語化すると「日本的霊性」ということになるんだろう。
鈴木大拙の著作にあるが、その広がりは一冊の本ではまとめきれない。

3月

25

もうすぐ悟る

世界は少しずつ良くなっている。
進化論的にいえばそうだろう。
宗教によっては、過去に理想的な世界があり、すこしずつ崩れて行きつつあると考えるものもある。
どちらが正しいかは、これから僕たちがどちらに向いていくか次第だ。
なので僕は、世界中の人がもうすぐ悟ると考える。
それはどういう世界か。
あらゆる人の大欲が満たされる世界。
大欲とは、仏教でいう菩薩や如来が持つような、すべての人が幸せになるためのビジョン。
その少し前では、価値観が錯綜し、混乱するだろう。
今がその状態だと思う。
ネットで「大欲」を調べると、「欲が深いこと。欲が深すぎると結局損をする」みたいな解釈がたくさん出てくるけど、その意味をリフレーミングしましょう。

3月

23

大日経を読む

大日経の現代語訳を読んだ。
いままでにいろんなお経の現代語訳を読んできたが、きちんと理解しているものはほとんどない。
そもそも理解するというのはどういうことなのか、それすら謎になる。
わかったような、わからないことが、ずっと続く。
眠くもなる。
それを続けているとやっと理解できることが生まれてくる。
それはまさに、僕の内側に生まれる。
他人に説明しても詮無いことだ。
なるほどと唸る。
いろんなお経に苦労して、「あれは理解した、これは理解できない」とやり続けてきたおかげだ。

3月

23

感情の種

「日刊 気持ちいいもの」では、書いている僕の「感情の種」を探しているという側面がある。
感情の種とは「そのことを思い出すと感情が動いてしまう」その「何か」だ。
嬉しい、たのしい、悲しい、怒りなどと、いろんな種がある。
そういう種があることを知った頃には、「そんなこと、知らなきゃ良かった」としか思えない。
その種を思い出しては感情が揺らされるから。
しばらくするとその感情の揺れをどうやって止めればいいかと考えるようになる。
そのおかげで心理学や宗教の本をたくさん読んだ。
それだけが理由で読んだわけでもないけど、それも理由の一つだった。
そうやって歳を重ねることができて良かったなと思う。
いろんな種があることがうれしい。

3月

4

聖なる瞬間

ミルチャ・エリアーデの著作に『聖と俗』がある。
そのなかで「聖なる瞬間は繰り返される」という話しがある。
たとえば聖なる瞬間をお祭りなどで反復するのだ。
なるほどと思う。
僕にとっての聖なる瞬間もいくつかあって、それらを記憶の中で反芻している。
この『日刊 気持ちいいもの』で何度か書きたくなる内容は、僕にとっての聖なる瞬間なのだな。
そうだとしたら、同じこと何度か書いてもいいじゃないかと思える。

3月

4

夢見と何度も書くこと

夢について何度か書いた。
それでわかったのは、夢は一面的ではないことだ。
ある場面を見たとする。
それが僕にとってどんな意味なのか、どんな感情をともなうのか、どんな表現が適切なのか、それを感じていくと、いくつもの意味や感情や表現があらわれてくる。
それは現実の景色でも多少あって、結局、僕の感じる夢や景色は多面的であることがわかってくる。
一度それを受け入れてしまうと、不安定な意味や感情の羅列が吹き出してくる。
いや、ちょっと違う。
羅列ではないのだ、不安定な意味や感情が同時に生起し、それを表現するのに羅列するしかなくなるのだ。
言葉を使うことにあまりにも慣れてしまっていて、羅列されることが当たり前で、そのように感じていると思い込んでいるのだ。
同時に生起した意味や感情は、表現しにくいためにすぐには言葉にならない。
この沈黙が大切なのだ。

2月

25

二つの理屈

二つの理屈が同時に成り立たないとき、たいていどちらかが正しいことにするために、他方を傷つける。
どちらかが優位に立つように仕向ける。
そういうことはせず、ふたつの理屈を両方受け入れましょう。
放っておくだけでもいい。
どちらもいつか役に立つ。

2月

17

共鳴

いろんなところ、思わぬところで共鳴が起きる。
鳴き龍の下で手を叩くと、龍の声が聞こえるのは共鳴だ。
チチェン・イツァーのピラミッドにある階段前で手を叩くと、そこでも共鳴が起きる。
共鳴は音だけではない。
色が見えるのも、光の共鳴の結果と言えなくもない。
きっとあらゆる物質が共鳴でできている。
電子が陽子や中性子のまわりを包んでいるとき、そこにはきっと共鳴と似た現象が起きているはず。
だから、電子と陽子や中性子の間がとても離れているのに、そこに隙間を感じることはない。
複雑な共鳴の折り重なりの中で、僕たちは生きている。

2月

15

復興オリンピック

復興オリンピックという名前で2020東京オリンピックの準備は始まった。
当初は311の復興かのように思えたが、どんどん予算が膨らみ、「復興」の言葉は言われなくなった。
ところで、1940年、中止になった東京オリンピック。
当時はこれを機に、オリンピックのことを五輪と呼ぶようになった、
アジアで初、有色人種国家でも初のオリンピックは、日中戦争や当時の世界情勢のために中止となった。
その後、日独伊三国同盟と連合国がぶつかった。
結果として三国同盟は負けた。
2013年、2020東京五輪が決まったとき、なんとなく、このオリンピックも中止になるのではないかと思った。
なぜそう思ったのかは明確ではない。
当時はただ、「歴史が繰り返される」のではないかと思っただけだ。
最近、なぜそう思ったのかがうっすらと理解できるようになってきた。
それは、価値観の変更に関係があるなと。
三国同盟と連合国の対立と当時は見ていたが、戦争が終わってはっきりとなくなったのは帝国主義だった。
大国が小さな国を併合し、従えていく。
そんな帝国主義の流れが薄らいでいった。
しばらくは継続したが、植民地は次々と独立していった。
それと同じようなことが、今回のオリンピックを契機に起きてくるのではないか。
いまを生きている僕たちにははっきりとは見えない価値観が立ち上がり、古い価値観とすり替わっていく。
それがいったい何か、それを僕たちはいまうっすらと感じつつある。
心の復興となる、何ものかが。
それはNWOと呼ばれるものとは違う気がする。

2月

9

みんなが悟ったらどうなるか

特に何かが大きく変わるわけではない。
みんなが少し生きやすくなるだけだ。

2月

9

悟る瀬戸際

911、311、アメリカの不正選挙と、社会の様相が浮き彫りにされる事件が10年ごとに起きてくる。
おかげさまで人類は覚醒の瀬戸際にいるのではないか?
インターネットの発達によって情報に複雑性が加えられた。
仏教で言われていた真如がどこにあるのか、理解する人が増えただろう。
もうすぐ覚醒の連鎖が始まる。

2月

9

贈与論

贈与論の本がブームだという。
社会が収奪からできているからその正反対が持ち上げられるのだろう。
だけど立場が違うだけで、同じことが贈与に見えたり収奪に見えたりする。
弱肉強食は収奪だと思うかもしれないが、食物連鎖は贈与だという。
同じ現象の見方が違うだけなのに。

2月

5

君あり、故に我あり

サティシュ・クマールの本を読んだ。
ジャイナ教のことや、非二元論、そして平和について書かれている。
この時期に読めてよかった。

1月

22

気持ちいい状態

毎日、ここに文章を書くときには、気持ちいい状態になる。
もう4374回もやって来たわけだから、はじめの1000回程度の頃よりずっと楽にできるようになった。
だけど、このところなかなか難しい状態が続いている。
なぜなのかの理由はわかるが、それを解消するための探求は続く。

1月

3

思い込みを手放す

初夢の話を書こうとして、書き切れなかった。
なぜ書けないかというと、自分の思い込みが手放せないから。
思い込みを手放すと話はとても簡単。
人は幸せに生きていける。
それを考えていくと、欲というものがとても巧妙にできていることがよくわかる。

1月

2

令和三年の初夢

初夢を見た。
ずっと以前から言いたかったことがやっと腑に落ちて、言えるようになった気がする。
初夢自体はどんなものだったのか覚えてないのだが、目が覚めて「そうか」と思った。
途中まで書いたが、とても長い話なので、僕のBlog「水のきらめき」に書きます。
今日中にアップできるかな?
こんな夢が見られたのは、年賀状のデザインをこんなものにしたからかな。

1月

2

新年明けましておめでとうございます

節目を付けるというのはいいこと。
日本はそのおかげで繁栄しているのだと思う。
混沌の中に節目を。
今年はそれがさらに求められるのだろうと思う。
内にも、外にも。

12月

24

大愛瞑想

2017年5月10日、はじめて紅龍さんと一緒に大愛瞑想をした。
不思議な体験だった。
大愛瞑想の終わりに、「キリストになったつもりで愛を向けて下さい」といわれると、なぜか咳き込んでしまった。
それがなかなか止まらない。
次に「では、マリア様になったつもりで」といわれたら、ピタッと止まった。
そして「観音様になったつもりで」といわれたら、悲しくもないのに涙がこぼれた。
「なんだこれは」と思った。
それから二年して、紅龍さんは重い病にかかった。
見舞いに行くと「大愛瞑想をまとめて本にして」と頼まれた。
それから一ヶ月ほどして紅龍さんは亡くなった。
約束通り本は作ったが、出版社が決まらなかった。
あまり先延ばしにするのも良くないと思い、pdfで配布することにした。
紅龍さんは大愛瞑想をこの世界にもたらすために生まれてきたのだと思う。
第五章に大愛瞑想の体験談がいくつかある。
不思議としか言えない。
大きな愛に包まれる不思議。
pdfはここにある。
https://www.tsunabuchi.com/pdf/biglovemeditation.pdf

11月

30

居心地の悪さ

居心地の悪さが気持ちいいというのは、理解されにくいことだろう。
何かを表現したいとき、まず来るのが、この居心地の悪さなのだ。
何かを表現したいが、それを正しく伝える言葉がないとき、そういう気分になる。
それは長い文章で書き伝えないと伝えられない何か。
それが兆したということ。

11月

29

あるモノの意味

環境が変わると、そこに存在するモノの意味が変わる。

11月

24

インテグラル理論を体感する

いままでのケン・ウィルバーの著作の中では、比較的読み易い本。
『進化の構造』や『万物の歴史』に書かれていたことがさらに噛み砕かれて、やっとケン・ウィルバーの言いたいことがわかった感じがする。
意識の段階も整理し直され、以前の著作ではわからなかったことがはっきりとわかり、あまりにも面白くてほぼ一日で読み切ってしまった。