9月

18

打ち上げの本当の意味とは

夢を見た。
何度か見た夢の続きのようだ。
でも実際にその夢を何度か見たのかどうかはわからない。
そういう感じがするだけなのかもしれない。
その夢の中で、「打ち上げの本当の意味」を探すことになる。
何かに一区切り付いて、打ち上げをするのだが、きちんと打ち上げようということになり、いったい何をすればいいのか悩むことになる。
その悩みの最中に知り合いが建物を建てたという。
建物の大きな壁面に何かを描きたいのだが、知らない人が勝手にいろんなことを描いていく。
「いったい私は何を描けばいいのか?」と質問される。
緑のような青のような深い色をしたその壁面はタイルで覆われていたので、黒いペンキで描いてもあまり目立たない。
何が描かれているのか知るために目を凝らす。
そのときに「打ち上げの本当の意味」を知る。
エリアーデによれば、祭は始原の時に戻ること。
神様がかつておこなった行為を繰り返すことが本義だという。
そのおかげで円環の時を人々は生きることになる。
それが「進化する歴史的な時」に変更されたのはキリストのおかげだという。
僕たちは進化する時の中で生きている。
僕たちにとっての「打ち上げ」とは何か?
打ち上げ花火は地上という二次元から、高さを得て三次元になる。
きっとその視点は神のものだったのだろう。
それを繰り返すのは円環の時を過ごす人々がすればいい。
「進化する時」を過ごす僕たちは、新次元を得るのが「打ち上げ」。
そう閃いて目が覚めた。

8月

26

夜の虹

ハワイ・モロカイ島在住のアーティスト山崎美弥子さんは2020年1月1日から三日間、毎晩夜の虹を見たそうだ。
夜の虹は月の光でできる白い虹。
ハワイでは夜の虹は先祖からのメッセージだと考えられ、それを見ると夢が叶うそうだ。
滅多に見られないその虹を、三日連続で見てしまった山崎さんは、「Night Rainbow」という個展を開く。
9月6日まで青山スパイラルでおこなわれている。
山崎さんはここ十数年、千年後の世界を描き続けてきた。
それはモロカイ島の朝焼けや夕焼けの風景にしか表面上は見えないのだが、そこには千年後に世界中の子供たちが幸せに暮らしているビジョンが込められている。
三晩にわたる夜の虹は、その願いが叶うものとして現れたという。

5月

28

三枚の紙

今朝の夢にも「三」が登場した。
三枚の紙にある有名なデザイナーがデザインを施す。
そのデザイナーはこんなことを話す。
「この三枚の紙には微妙な違いがあります。
 そこでこの一枚だけはこの色を使わなければならないと思いました。
 あとの二枚はその一枚が決まったことで、それぞれの色を採用することを決めました」
その話を聞いて僕はこう思う。
「確かに最初の一枚をその色にするのは正解だし当然だろう。
 しかし、あとの二枚についてはほかの可能性がたくさんある。
 なぜそのことについてあのデザイナーは考えないのだろう?」
ここから多次元リフレーミングの話に発展する。
多次元リフレーミングは抽象的な話なので、どう説明するかが問題なのだが、いい例が夢に出てきてくれた。

5月

27

三つの選択肢

夢の中で三つの選択肢を与えられた。

選択肢1
生まれたときまで戻って人生をすべてやり直す。

選択肢2
このまま人生を続ける。

選択肢3
死んで別の人生を生きる。

なぜこのような夢を見たのか理解するため、そして、それぞれの選択をするために、大量なビジョンが降りてきた。
困ったなと思うと同時に笑った。

5月

16

パイプラインの夢

飛行機から海に飛び降り、浜辺でパイプラインに巻き込まれる夢を見た。
美しい景色が見られた。
海底に何があるのかは見えなかった。

4月

13

一炊の夢

中学二年の時、国語担当の榊原先生が、担当した生徒全員と交換日記を始めた。
ひとクラスだいたい40名。
担当していたクラスは多分4クラスはあっただろう。
すると毎週160名と交換日記をしていたことになる。
凄く大変だっただろう。
その第一回の課題が「日記に名前を付けて、その理由を書け」というものだった。
僕は確かことわざ辞典のようなものを引いて、「一炊の夢」という言葉を見つけ、日記の名前を「一炊の夢記」とした。
そんなことはすっかり忘れ40年ほど経ってしまったが、ユングが解説を書いた「黄金の華の秘密」を読んでいたら、その本の訳者(湯浅泰雄)が書いた解説に「一炊の夢」を見つけた。
「黄金の華の秘密」の各章が「呂祖師曰く」で始まるのだが、「一炊の夢」はその「呂祖師」が邯鄲(かんたん)の村で盧生という青年に教えた話なんだそうだ。
だから別名「邯鄲の夢」ともいう。
さらにへぇと思ったのは、呂祖師のことを道教史上に残したのは全真教という教団なんだそうだが、そこの開祖は王重陽というひとだそうだ。
重陽の節句に生まれて「陽二」と名付けられた僕は「一炊の夢」から目覚めてしまいそうだ。

3月

30

人生の選択を誤る

昨日 本を読んでいて「人生の選択を誤る」という言葉が気になった。
夜に夢を見た。
内容はよく覚えてないのだが、夢の途中で上着を脱いだ。
しばらくして目が覚めると、パジャマの上着を脱いでいて寒かった。
あわてて着たが、そのときもどんな夢を見たのか覚えていなかった。
だけど、何か夢の感触のようなものがあった。
朝起きて、夢の感触をたどると、ジープに取り付けた銃の台座と、荒くれ男たちを思い出す。
そして、人生の選択を誤るという言葉。
それで思い出した。
荒くれ男たちとジープに乗って銃をぶっ放しながらニューヨークかどこか、アメリカの都会を駆け巡っていた。
「人生の選択を誤る」ってこういうことだろと、夢が教えてくれたようだ。

3月

5

お湯待ち

朝起きてトイレに行く。
見た夢を反芻する。
モデルの女の子が和服を着て立っていた。
なんの夢だろう?
頭を掻きながらトイレから出て、コーヒーを淹れることにする。
コーヒードリップケトルに水を入れ、コンロにかける。
カップにドリッパーをセットして、紙フィルターを載せる。
コーヒー豆を電動ミルで砕く。
フィルターに砕いたコーヒー豆を入れてお湯待ち。
カップ二杯程度の水はすぐに湧くので、立ったまま待つ。
水がふつふつしてくるのと一緒に、見た夢もふつふつしてくる。
夢の中でモデルの女の子が何を考えているか感じていた。
男が近づくとモデルは倒れかかった。
そのときの感覚。
男はモデルにつかまれて立たせる。
「平気ですか?」
「はい」と言ったときの感情の動き。
「服が乱れてしまったので、直してもらえますか?」
「いいよ。両手を横に伸ばして」
女は両手を横に伸ばして男の目を覗き込む。
男は女の帯を解いて着物を直し、また帯を結ぶ。
「これでいいかい」
「お食事に連れて行ってもらえませんか?」
「いま?」
「はい」
「あいにくいま持ち合わせがない」
「じゃあ今度」
ふと、ふたりの感情が両方とも、手に取るようにわかったことに気づく。
言葉の間にある一瞬の感情。
どちらの感情もここにあることが不思議なことだと、湧きつつあるお湯を眺めながら知る。
「不自然な夢だ」
きっと僕が非二元なんてことを考えているから、夢がそれに合わせてくれたのだろう。
夢はそのくらい自由なものだと教えられた気がする。
しゃらくさい夢だ。

3月

4

夢見と何度も書くこと

夢について何度か書いた。
それでわかったのは、夢は一面的ではないことだ。
ある場面を見たとする。
それが僕にとってどんな意味なのか、どんな感情をともなうのか、どんな表現が適切なのか、それを感じていくと、いくつもの意味や感情や表現があらわれてくる。
それは現実の景色でも多少あって、結局、僕の感じる夢や景色は多面的であることがわかってくる。
一度それを受け入れてしまうと、不安定な意味や感情の羅列が吹き出してくる。
いや、ちょっと違う。
羅列ではないのだ、不安定な意味や感情が同時に生起し、それを表現するのに羅列するしかなくなるのだ。
言葉を使うことにあまりにも慣れてしまっていて、羅列されることが当たり前で、そのように感じていると思い込んでいるのだ。
同時に生起した意味や感情は、表現しにくいためにすぐには言葉にならない。
この沈黙が大切なのだ。

2月

5

2021年2月5日の夢

どこかの町を相方と歩いていると、道の真ん中で知らないおじさんがいろんなものを売っていた。
見たことのないような彫刻や、何に使うのかわからないような道具を、針金で作ったようなちゃちな棚に載せて売っていた。
「これはなんだ?」と覗いていると、相方が「ねぇねぇ」と呼ぶ。
「なーに?」と言って呼ぶ方に行くと、一人の元気な少女が何かしゃべっている。
「どうしたの?」と相方に聞くと、「この娘面白い」というので話を聞こうとすると、その少女と目が合った。
「パーティーしよう」
その娘の声にドキッとして目が覚めた。

1月

25

夢の見方

少し前に、夢の見方を体得した。
夢は勝手に見てしまう。
なぜそんな夢を見るのかわからないことが多い。
夢を見たら非二元的にとらえる。
すると夢の意味が浮上する。
いくつもの意味が絡まっていることが多い。
丁寧に分解したり、一体のまま解釈したり、あれこれすると、思わぬ意味が浮かび上がる。

12月

3

2020年12月3日の夢

今朝の夢は、白紙のマンガ原稿が届いたことだった。
同時に、その前後関係がなぜか理解できている。
こんな夢だった。
事実とは違う部分があるが、夢だから仕方ない。

僕はたぶん手塚治虫のアシスタントだ。
なぜそう思うのかというと、普段は「先生」と呼ぶのだが、石ノ森章太郎に対しては「手塚が・・・」と言うからだ。
最初は編集者かなと思ったが、その様子でアシスタントだと気づく。
一度に夢を理解したので、前後関係がよくわからなかったりする。
夢の中ではアシスタントという立場だったので、その立場で文章を書いてみる。

石ノ森章太郎先生の体調が悪く、なぜか最後の作品を手塚先生と共同で描くことになる。
その経緯はよくわからない。
手塚先生がある程度まで描き、原稿を石ノ森先生に送る。
しばらくすると石ノ森先生から続きが描かれて戻ってくる。
それを何回か繰り返し、ラストのシーン。
手塚先生は788コマ目を1ページに大きく書いて石ノ森先生に送った。
数日後、続きが帰ってきた。
(僕が夢ではっきりと見たのはこの部分だ。)
そこには真っ白な789コマ目があった。

そこで目が覚めたのだが、目をつむったまま、夢の続きを空想する。
なぜ789コマ目が真っ白だったのか、思い浮かぶ。
実際には視点があちこちに飛ぶのだが、それを書いていると文章としては意味がよくわからないものになるので、ここでは石ノ森章太郎からの手紙だと固定して表現する。

(手塚)先生、788コマ目をお送りいただき、ありがとうございます。
いまは自分で原稿も、手紙も書くことはできず、アシスタントに指示して書かせています。
この企画では、「最後のバトル」とか言われて競い合っていることになっていますが、788コマ目を見て、戦っているのではなく、調和を作っているのだなと思いました。
表面上は売り上げがどうとか、どちらがたくさんの読者を得たかとか、人気度はどちらが高いかなどと張り合っているように見えるようですが、実際には違いますよね。
先生が789コマ目を僕に託してくれたというのがその証拠です。
788コマ目を見て、トキワ荘の頃を思い出しました。
あの頃はみんなが同じ方向を向いていた。
万博のテーマ、「人類の進歩と調和」を誰でもが素直に信じることができました。
先生が僕の789コマ目を見てみたいと思ってくれたのと同様に、僕も先生の789コマ目を見てみたいのです。
なので、僕の789コマ目は送らないでおきます。
僕の絵で影響を受ける先生だとは思いませんが、先に見てもらってしまっては、絶対それよりいいものにするための工夫を加えるでしょう。
互いに同じ条件で描き合ってみませんか。

なぜこんな夢を見たのかは謎だ。

9月

16

相方の夢

朝起きると、相方がプリプリと機嫌が悪い。
どうしたのか聞くと、僕と夢の中で喧嘩したのだと言う。
どんな夢を見たのか聞いた。
一緒に街を歩いていたら、僕の知り合いだというアジア系の男がやってきて、何語か判らない言葉で話しかけられた。
「何を言っているの?」と僕に聞くが「判らない」と答えたそうだ。
その男はすれ違いざまに相方のお尻を蹴っていったという。
夢は続く。
街を歩いているともう一度その男に出会った。
相方は怒って話しかけると、その男はバク転をしながら階段を降りていったという。
「なぜ僕と喧嘩したの?」と聞くと、「その男と知り合いだったのがいけない」という。
「それで起きたら怒っているの」と言ったら「そう」。
二人で笑った。

9月

13

川の夢

石神井川沿いに散歩したせいか、川の夢を見た。
都会にあるような護岸工事された川ではなく、岩や小石がゴツゴツとある自然の川沿い。
そこを歩いていると水鳥が集まってくる。
なぜかドローンが飛んできた。
ドローンが空中に止まっていると、それを見上げる水鳥たち。
そのあとで、木の手漕ぎボートにワニを乗せて河口まで降りて行った。
海に出るとボートに穴が開き沈没。
泳いで岸に立った。
どういう意味のある夢だったんだろう?

5月

19

鳩と飛ぶ空

鳩の背中に乗って、クレヨンで描かれた港を飛んだ。
白い灯台、遠い雲、きらきら光る海面、不思議な感触。
クレヨンで描かれたアニメのように、動かない壁も、眼下の道も、ゆらゆら揺れる。
クレヨンで描かれた世界で感じる重力は、不思議。

3月

11

慈雨のように

草原のきれいなリゾートで、友人たちと一緒に遊んだ。
ちょうどいま、『デカメロン』を読んでいることが影響しているかもしれない。
互いに自分の人生がどうなっていくのか、想像して語るという遊びをしている。
自分の寿命を想定して、それプラス20〜30%先の話まで作る。
たとえば、自分の寿命が100歳ならば、その20年後、30年後はどうなっているかを最後に語る。
草原を見つめてどういう話をしようかと皆が考えているとき、ある友人が「お茶を下さい」と言った。
僕は急須のお茶を注ぎながら「このお茶が春の慈雨のようにあなたの心を満たしますように」と言った。
そこで目覚まし時計が鳴って、目が覚めた。

2月

26

変化

夢の話をFBに書いたら、友人が「僕も最近よく夢を見るようになった」という。
何かが変化しつつあるのかも。
その何かは、集合無意識に関わる何か。

2月

26

気づきのための夢

またしても不思議な夢を見た。
目の前に、それぞれが半透明のようにして、二つの出来事が同時進行して、それぞれに対応している僕がいた。
二つの出来事を正確には覚えていない。
だけどそれに対応している実感があった。
夢だから、そうなのかと受け止めるしかない。
そこで目が覚めた。
トイレにこもって何の夢だったのか考える。
ふつふつと浮上してくる意味。
ある過去と、ある未来を一度に見ていたのだなと思う。
過去も未来も「いま思い浮かべている」という等価なものであることを確認するために。
多次元に生き始めると愛することが当たり前になるという。
いま愛をもって過去を見ると、いまの行動が愛とともに現れる。
同じ過去をもし憎しみや怒りをもって見ると、いまの行動が残酷になる。
どちらを選ぶか。
いま愛をもって未来を見ると、いまの行動が愛とともに現れる。
同じ未来をもし憎しみや怒りをもって見ると、いまの行動が残酷になる。
どちらを選ぶか。
いまの心のありようが、過去にも未来にも影響する。
過去も未来も心にあるから。
愛とは、関わり合う全ての存在をありのままにしてその力を引き出すような、高度な組織化を助ける力。
その力を言葉ではほとんど説明できない。
生命体の機能をすべて言葉で表現できないのと同じ。
あらゆることが同時に起き、かつ時間が異なれば起きることも常に変化する。
それらすべてを言葉で追跡することはできない。
でも、愛する心は、不可能を可能にしようとさまよう。
言葉を多次元に表現する術を得る日、言葉の概念が一新され、それは可能になる。

2月

20

儀式の夢

曇天の空の下、木の枝で十字架を作り、牛の頭蓋骨をそこにかける。
大麻で布を織り、白い服を作って着る。
不思議な音階の石の笛を誰かが吹いている。
その音は、からだの各部に響いて震える。
大きな火を焚く。
葦のような植物性の細い管に、細かく削った骨、トウモロコシ、麦、コメなどを入れ、焚き火の中に刺して立たせる。
しばらくすると熱せられた管から中身が空へと吹き上げられる。
そこで目が覚めた。
いったい何の夢だろう。
感じてみると、COVID-19を無毒化するための儀式だったようだ。

2月

14

美保関隕石と直方隕石

初夢会で面白い話を聞いた。
ある参加者がバイクでツーリング中に、美保関隕石の碑を見つけたのだそうだ。
美保関隕石とは、1994年12月10日に島根県八東郡美保関町にある民家に隕石が落ちた、その隕石の名前だ。
その碑にはもうひとつ直方隕石という隕石の説明も書かれていた。
直方隕石は861年5月19日、当時の暦では貞観3年4月7日に、福岡県直方市の須賀神社に落ちたそうだ。
直方隕石は世界最古の落下目撃隕石だそうだ。
このふたつの隕石は岩石鉱物学的な観察から、同じ母体のしかもすぐ近くから飛んで来たはずだということがわかった。
火星と木星のあいだにある小惑星帯から来たらしいと言われるが、もしそうだとしたら、いったいどういう意味のあることなのか?
あんなに遠いところから、その距離に比すればほぼ一点ともいえるような場所に、1130年を隔てて、ほぼ同じ隕石が落ちる。
しかも、地球は公転と自転をしているし、小惑星帯も違う速度で太陽のまわりを回っているはずだ。
いったいどういうことだろう?
須賀神社ではその隕石が保存されていて、五年に一度の神幸大祭でそれが公開される。
次の神幸大祭は2021年10月らしい。

2月

14

吊るされた板の夢

ときどき不思議な夢を見る。
アクリルかプラスチックでできたような、三角形や四角形の板が、それぞれ頂点の部分がヒモに吊るされていて、それがクルクルと回ったり飛んだりしている。
かなりな枚数あるのだが、それらがなぜかスムーズに動き回っている。
普通であればそれぞれのヒモが交差して、こんがらがってしまうだろうと思うのに、理由がわからないがそれぞれきれいに飛んだり回ったりしている。
いったい何の夢なのか?
「初夢会」というところでその夢の絵を描いた。
絵を描いて、その夢の説明をし、講師にアドバイスをもらうのだが、一緒に参加している人が勝手に「私はこう思った」みたいなことも言う。
別の人が指名されて答えていた。
「この夢はきっと、起きていたときに必死に悩んで、答えが出ないと苦しんでいたので、その答えが夢に出てきたのだと思います」
その人の話を聞いているとき、僕も同じ体験があるなと思っていたら、ふと答えが出てきてしまった。
夢の中では不思議なことが起こる。
いくら論理を追いかけても出てこない答えが、ポコッと出てくることがある。
答えを知ると「なるほど」と思うが、どうしてそんな答えが導きだされるのかわからない。
状況を全体的に把握しないと答えは出ないようなことの答えが出てくる。
この前日に、ある人と話をしていて「レンマ学」という本の話になった。
レンマとは、ロゴスとの対概念である。
ロゴスは論理を言語的、一次元的に追いかけていくこと。
レンマは、全体的な把握から理解していくこと。
夢はレンマ的であると思ったのだ。
すると、板の夢の意味が浮上した。
四次元以上の空間を移動しているものを、四次元の視点で見るとどうなるのか。

1月

24

夢の中で作曲する

夢の中でなぜか作曲することになり、一曲作った。
とても簡単な曲。
目が覚めても覚えていて、なんでこんな曲作ったのかと不思議に思う。

11月

8

赤い部屋

目が覚めると部屋が真っ赤になっていた。
日が昇るのが遅くなり、朝焼けの時間に起きたから。
「部屋が赤いなぁ」と思いながら。いま見ていた夢を思い出す。
中東の人たちになぜか、僕の部屋の本を半分ほどと、机や椅子やPCを盗まれていた。
「なんでこんなものを盗んでいくんだろう?」と思いながら、日本の呪術で呪われると大変だよと思っていた。

9月

18

北極圏の街

三日連続で夢を見るというのは、僕にしては珍しい。
また夢を見た。
北極圏にあるどこかの街に行った。
列車で到着し、その街に一泊する。
翌日は歩いてどこかに行く。
そのどこかがどんな所なのか、地図を広げた。
しかし、自分のいる場所がわからない。
いまいる街の名がわからない。
だけど行くべき場所があるはず。
岬の地図を眺めて目が覚めた。

9月

17

白いテーブルのピアノ

表面がガラスでできた白いテーブルに、鍵盤の絵が浮き上がっている。
その鍵盤に触れるとピアノの音がする。
ポロポロと弾くと光の具合か鍵盤が見えなくなる。
なんとなくこのあたりにこの鍵盤があるだろうと思って弾くと、その通りに音が出る。
しばらく弾いていると、鍵盤の位置がわからないのに、思った通りの音が出てくるようになった。
驚いて手を離すと、それまで見えていなかった鍵盤がうっすらと浮かび上がる。
なんかスゲーッと思って目が覚めた。